ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・11歳女児。胃痛、抑うつ

 

ケース87

F.U.は1960年3月生まれで初診は1971年4月。12歳の兄は1970年7月に家族で最初に私のクリニックを受診した。第五学年を再度履修しなければならなく、教師に叱責されていた。5歳の時に時速45マイルで走る車から転落した。ほとんど意識がない状態となり、精神錯乱状態になり7日間ほど入院した。その後、性格がとても大きく変化し、ひどい癇癪に苦しむようになり、頑固、不従順、そして頭痛は頻発するようになった。11歳の時、てんかんの大発作を1度おこした。父親は被害妄想でてんかんもちで、内服治療を拒否していた。両親は離婚した。過活動スコアは97点だった。私は毎食1グラムのナイアシンアミドを開始した。1971年4月までに彼は改善し6学年へ進級した。1971年5月、母親が8人の子どもの面倒を見るのが困難となり、父親のところへ転居した。父親は子供にビタミン療法をすることを拒否したが、1972年7月18日の最後の便りでは、彼は好調を維持していた。

F.U.は毎月曜日の朝に、痛みがあると訴えた。母親は娘が一日中続くひどい抑うつがあることがあり、心配していた。その他は元気だった。学校でもうまくいかないと感じ始めていた。私は毎食1グラムのナイアシンアミドをスタートした。1か月後、落ち着きがでて、学校でもうまくやれるようになり、痛みの訴えもほとんどなくなった。1972年4月21日、父親と生活していた。母親は1971年の夏中、4人の子供を父親の元へと送ったのである。父親はF.U.にもビタミン剤を飲ませなかった。1972年3月に母親の元へ帰った時には、大変病的であったので、ナイアシンアミドを再開した。その後改善し始めた。ピリドキシン250㎎朝夕も追加した。1973年1月19日、母親は、1972年の11月15日からピルが飲み込みにくいので、ビタミン療法を中止していると言った。1973年8月1日、7月中に不調になってきたが、まだよいと報告があった。ジョン・ホッファーは1111と評価した。しかし、ビタミン療法中はイライラがより少なく、神経が落ち着いていた。1974年1月13日、彼女は良好であった。

母親は1971年5月に初診だった。自分の症状が娘のF.U.のものと同一と認識したためである。似たような恐怖、胃痛があり、しゃべらず、人付き合いをしなかった。

何年もの間、多くの幻視と幻覚、幻聴、非現実感に苦しめられていた。被害妄想的で混乱し、思考は途絶し、抑うつ的で、記憶力と集中力に乏しかった。メガビタミンレジメ(ナイアシン4グラム/日、アスコルビン酸4グラム/日、ピリドキシン250㎎朝夕、アミトリプチン一日75㎎)を開始した。1973年1月には正常となった。

コメント:家族で精神疾患に苦しむ方々が多いですね。 いつもナイアシン、アミド、イノシトールナイアシンが治療の中心になっている。