ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・14歳。なにも興味がない。

 

ケース90

G.V.は1956年4月生まれで初診は1970年7月。恥ずかしがりで傷つきやすく、母親によると何も与えてくれない空っぽの子供であった。何事にも興味がなく、背中が硬く、身体活動や運動は嫌いだった。二分脊椎に対する手術を受けた。理屈っぽく、気難しかった。一年間ほど精神科クリニックで治療を受けたが効果がなかった。医師は、両親が子供に厳格すぎることが問題であると話した。彼には被害妄想的な考えがある事を私に話した。ナイアシンアミド1グラムを毎食後、アスコルビン酸毎食1グラムを開始。一か月後、改善が見られた。被害妄想は減り、数人の友人もできた。1971年1月18日、成績Dの生徒であることにあきあきしていた。ここに至って、よい食生活を始めた。1971年4月19日、変化なし。試験すべてに失敗した。甘いものをやめることはできなかった。ナイアシンアミドを毎食2グラムへ増量した。1971年7月13日、2つの科目を通ったが、留年しそうであった。ナイアシンアミドを中止し、ナイアシン毎食1グラムを開始した。1971年11月25日、苦労しながらも第9学年にいた。ナイアシンを毎食2グラムへ増量した。1972年1月4日、成人の身長、6フィートへ達した。学校は以前ほど苦痛ではなく、より集中できるようになった。1972年5月10日、ピリドキシン500㎎朝夕を追加した。彼は正常で平均Cの生徒だった。1972年8月29日、2科目に失敗しながら第10学年へ進級した。母親は彼の状態は良いと感じていたが、本人は集中がしにくかった。1973年2月1日、彼はナイアシンを1日2グラムへ減量した。1973年4月3日、彼は好調で、勉強が以前より容易になった。彼の最終治療評価判定は、1111であった。ジョン・ホッファーは彼を診察していない。なぜなら、治療開始時に14歳になっていたので。過活動スコアは95から59へ(1970年8月9日から1971年7月13日にかけて)

コメント:とてもよい経過です。