8月13日の特攻

台中で生活していた。嘉義中を卒業したあと、航空燃料の軍需工場で働いていた。

ある日、仲の良い友人と数人で、特攻隊の試験を受けに行った。

親に了解などは得なかった。

自分は試験に落ち、友人達は合格した。飛行機の操縦なので、視力が問題だったのだろう。

最後に会った時には、「もうこれで最後だろうな。」と話しあった。

8月13日、館山から特攻へ飛び立って、もちろん帰ってこなかった。

70年以上たつが、いつも一緒に遊んでいたこの友人達のことを思い出す。