ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・10歳男児。怖くて一人で眠れない

 

ケース89

M.V.は19593月生まれで初診は19695月。2年間、人に追いかけられる悪夢に苦しめられていた。目が覚めると両親の部屋へ駆け込んでそこで過した。初診の2週間前から就寝用のトランキライザーの内服を開始した。これで夢は見なくなったが、睡眠への恐れはなくならなかった。母親の顔が年をとっていてしわしわに見え、シーツもしわしわに見えた。地下室に男が住んでいて、彼を攻撃しようと走り回っていると信じており、母親を地下室へ行かせなかった。幻聴が聞こえ始め、特異な身体イメージの問題で苦しみ始めた。学校では恥ずかしがりで感受性が傷つきやすかった。彼は初診の検査の時にこのような知覚異常を繰り返した。ナイアシンアミド500㎎毎食後、アスコルビン酸毎食500㎎を開始した。一か月後に改善を認め、悪夢はなくなり、すべての異常知覚は消失した。しかしまだ癇癪持ちは治らず。私はナイアシンアミド1グラム朝夕に増量し、メラリル10㎎を追加した。1969年8月29日、彼は正常であった。1969年2月11日、彼はなんとか第5学年へ進級した。自立し、以前ほど母親に付きまとわず、家族から正常と思われていた。ナイアシンアミドを偽薬へ変更した。一月後、症状が再燃しはじめたようにも見えたがまだ良好であった。しかしながら、頭の中で声が聞こえ始め、ひどく怒った時には悪夢をみるようになった。1970年8月4日、7月から落ち着きがなくなり、母親がメラリル10㎎を再開した。とてもそわそわいらいらするようになった。8月3日、悪夢がひどく、また両親と眠った。そしてとてもよく泣いた。母親は初診時の状態に戻ったと感じていた。ナイアシンアミド毎食1グラムを再開し、1971年1月18日までに正常となり、学校での状態もゆっくり改善し始めた。1971年4月19日、彼はまだ好調だった。1973年11月2日、平均Dの成績で第五学年をパスした。秋には平均Cの成績で第六学年へ進級し、初めてAもとった。1972年6月5日、彼は好調だった。1973年8月13日、ジョン・ホッファーはnormal(1111)と判断した。第8学年では平均Cの成績で、高校生活や運動を楽しみ、とても人気者になった。6月中旬にすべてのビタミン剤を中止した。急激に人格崩壊が始まり、閉所恐怖症を発症し、友好的でなくなった。ビタミン療法を再開し、すぐに回復した。過活動スコアは59から27点へ(1969年から1972年8月にかけて)。

コメント:癇癪もちにもナイアシンアミド。恥ずかしがりにもナイアシンアミド。閉所恐怖症にもナイアシンアミド。