ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・兄弟に遊びに誘ってもらえるようになった

 

ケース18

And.C.は1962年4月生まれで初診は1972年7月。2歳半の時、弟が完成できたパズルができず、母親は心配し始めた。3角と四角の区別がつかなかった。19か月で歩き始めた。3歳の時、主治医は母親への依存心が強すぎるのが問題であると判断した。4歳の時には精神科医によりminimally brain damage(現在では使われていない言葉)と診断された。I.Q.は50であった。初診前2年間、毎日20㎎のリタリンを継続していたが、あまり効果はでていなかった。毎食1グラムのナイアシンアミド、一日250㎎のピリドキシンの内服を開始してもらった。一か月後には改善が見られた。自立してきて、夏の間に釣りを覚えるほどであった。11月までにはかなり改善した。兄弟姉妹たちも彼を遊びに誘うようになった。以前はけして誘うことがなかった。1973年2月4週間のうち3週間は正常であった。1973年8月5日ジョン・ホッファーは彼が正常であることを確認した。ナイアシンアミドは嘔気を引き起こしたため、減量しなければならなかった。しかし、減量により過活動性が増加した。治療効果の判定はimproved。

1973年10月24日ビタミンを内服できず、症状が再燃した。大変落ち着きがなかったが、学校ではうまくやっていた。毎食後1グラムのナイアシンを開始した。1973年12月31日10㎎のリタリンと少量のナイアシンを内服。良い状態であった。過活動スコアは87点から51点へ(1972年7月31日から1972年7月5日にかけて)。

コメント:10歳で栄養療法を開始した男の子の経過。4-5か月程度で顕著に改善している。