ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・治療がうまくいかなかった症例

 

ケース29

M.D.B.は1962年7月生まれで初診は1971年8月。発達が遅く、3歳までに話始めたが、話し方が支離滅裂で不明瞭だった。文字を読むことができなかった。3歳から引っ込み思案で未熟で学びが遅く、年下の子供としか遊ばなかった。読書力を増すトレーニングをさかんに受けた。幻視、人から見られているという妄想、文字がページの中で上へ行ったり下へ行ったりし、文字が一瞬消えたり、光の中に黒い男が現れたりした。時々、自分の名前が呼ばれるのや、人の足音が後ろに聞こえたりした。すべての友人に嫌われていると感じていて、思考は途絶していた。集中することもできなかった。

私は毎食後にナイアシンアミド1グラム、アスコルビン酸1グラムを朝夕、ピリドキシン250㎎朝夕、砂糖なしの食事を開始してもらった。9月にはナイアシンアミドを毎食500㎎へ減量。1971年10月頃までにあまり改善しなかったので、ナイアシンアミド毎食1グラムへ増やし、ナイアシン1グラム毎食後を追加した。彼はナイアシを飲めなかった。学校での生活態度は改善したが、家庭では変化がなかった。ジョンホッファーは1973年8月2日に診察した。この時、ビタミンを中止してから1年半たっていた。以前と同じ幻視と幻覚を見ており、被害妄想的で病的だった。6学年へ進級し頑張っていたが、この学年でやっていく能力はなかった。最終評価はnot improved。過活動スコアは71から59(1971年8月31日から1973年8月2日にかけて)

コメント:うまくいかなかった理由はなんだろうか?ナイアシンやアミドがうまく飲めず、すぐにあきらめたから?(ビタミン療法を行ったのは半年)

ナイアシンやピリドキシンなどの不足が主な原因ではなかった?

文章は、事実のみが書かれていて、筆者の主観が入らないように注意されている。

しいていえば、もっと工夫しながら長期間ビタミン療法を行えたら、あるいは鉄・蛋白などの補給があったらよかったのだろうか。