ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・5歳女児。双子の姉。ビタミン療法が継続できない。
ケース110
C.W.は1962年6月生まれで初診は1968年1月。R.W.(ケース109)の双子の姉で正常だった。母親は彼女が 病気になるのではないかと心配していた。尿中にクリプトピロールが認められた。私はナイアシンアミド一日1グラム、アスコルビン酸一日1グラムを開始してもらった。1969年7月22日、行動障害が出始め、赤ちゃん言葉で話始めた。7日間ほどビタミンを飲んでいなかった。ナイアシンアミド1グラムを一日4回とmallaril50mgを開始した。1970年3月31日、かなり改善した。ナイアシンアミド1グラムを1日2回へ減量しmallarilを中止、dexedrin5mgを開始した。1970年7月27日、第2学年へ進級した。よく泣いて、触られるのを嫌った。私はナイアシン一日12グラムを追加した。1970年12月30日、彼女は改善したがビタミン療法を拒絶した。1971年3月2日、眼鏡が必要だが眼鏡を拒否した。学校ではうまくやれていた。1973年7月30日、変化なし。内服薬を拒否し、進級していたが、明らかに弟に遅れをとっていた。ジョンホッファーは1000、not improvedと判断した。動きが緩慢で被害妄想があり、いらいらがあって、抑うつ的だった。ビタミン剤が飲めていれば、調子がよくなっていただろう。過活動スコアは75だった。
上の姉は6歳時にビタミンを開始し、1970年10月までい正常となった。彼女はそれ以上の治療を望まなかった。1973年11月、自殺を試みて入院した。父親と生活しており、次第に悪くなってきていた。