ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・親が悪い?

 

 

ケース13

P.B.は1964年3月生まれ、初診は1972年8月。12か月で歩き始め、過活動であった。ソーシャルワーカーが母親に、彼が過活動であると伝えるまで、なんとか対応していた。4歳半でかかった心理学者は、正常だが過活動であると診断した。1年生は大変困難だった。学習は進まず、他の子供とはうまくやれなかった。なんとか第二学年へ進級したものの、悪夢に悩まされるようになった。夜には幻覚の怪物が現れ、他の子供にひどい目にあわされると恐れるようになった。このころまでには、読書ができず、学習障害児であることがはっきりした。 1971年11月から1972年3月にかけて、親子関係が病気の原因と考える小児精神科医の指導下にある教育コンサルタントの指導を受けた。しかし何も改善しなかった。彼は以前見た幻視について私に話をした。その幻視は電気をつけると見えなくなった。記憶力と集中力は乏しかった。診察室では座っていることができなかった。貧乏ゆすりをし、部屋中をきょろきょろ見回し続けた。毎食後1グラムのナイアシンアミドと一日250㎎のピリドキシンを開始してもらった。1972年9月5日、読書が改善した。それまでは1ページに30分かかっていたが、1ページを5分で読めるようになった。1973年2月27日、彼は正常であった。彼の学習速度は速く、2年生と3年生の両方のクラスを受けていた。教師は同級生のレベルに追いつけると感じていた。彼はホッケーや水泳などのスポーツに熱中した。1973年8月1日、ジョン・ホッファーは彼が正常であると診断した。母親によると、数か月前、サプリを飲みたがらなくなり、すぐに元通りになった。2日飲まないだけで再燃したのである。過活動スコアは95から33へ(1972年7月25日から1973年8月1日にかけて)。 評価はnormal

 

1973年2月27日、父親が私に会いに来た。息子のビタミン療法による劇的な改善を見て自分の子供時代を思い出したという。息子同様に過活動で、攻撃的で、癇癪持ちだった。ずっと自意識過剰、誇大妄想的、そして集中力がなかった。気分は落ち込みがちで、イライラしていた。この父親もナイアシンアミド1グラムを毎食後に開始し、数週間後にはかなり改善した。父親も過活動スコアを行ってみたら85点であった。1973年8月1日、彼は好調だった。親子でつづりを教えあっていた。

コメント:親は子供に、”怖い夢をみてないか”尋ねないといけないですね。

学生の頃(四半世紀前)には「親が問題説」を精神科医が言っていたのを覚えている。子供の病気を、親の姿勢のせいにするのは、もはや時代遅れだろう。