ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・夏休みになると不調になる少年

 

ケース31

G.C.は1957年2月生まれで初診は1968年5月。7か月の時に養子に出された。育てるのが難しい子供だった。いつも緊張していて、いつも爆発しそうだった。学校ではのろまで字が読めず、算数ができなかった。彼は問題があることを否定した。幻覚があり、名前を呼ばれるのが聞こえ、被害妄想的で、思考の途絶に苦しんでいた。クリプトピロールは検出されなかった。ナイアシンアミド毎食500㎎、アスコルビン酸毎食500㎎、ピリドキシン一日300㎎を開始してもらった。5か月後の1968年10月25日、改善がみられた。幻聴はなくなり、学校でも以前よりうまくやっていた。夏の間の数か月は不調だった。夏の間は両親による食事のコントロールが十分でなくなるのでこのようなことになりがちである。私はナイアシンアミドを毎食1グラムへ増量し、アスコルビン酸も毎食1グラムへ、ピリドキシンを1日100mgへと変更した。加えてmellaril 20㎎、グルテンフリーダイエットを開始した。一か月で再びよい状態となった。1969年1月14日、それ以上の改善がないのでmellarilを25㎎へ増量。1969年4月11日、改善なく、トランキライザーを中止してritalin10㎎を開始した。1969年10月31日までに体調は回復し、学校でも進歩が見られた。毎年夏の不調は、彼がきちんと治療プログラムにしたがわず、甘いものをたくさん食べていたためだと判明した。私はナイアシンアミドを毎食2グラムへ増量。1970年5月28日、少し良かった。ナイアシンアミドw1日4グラムへ減量。mellaril100㎎として再開。8月になるとまた症状が再燃し、夜尿が始まった。あまりに状態がひどかったので、9月の半ばに6回の電気けいれん療法を行った。その後、改善した。1972年10月11日、彼はずいぶんとよくなった。成績Cの生徒だった。1973年7月5日ナイアシンアミドを1グラムとっていた。もはや嘔気はおこさなかった。まだ過活動であったが、気分は良く、学校のレポートはとてもよかった。学校では数人の友人もできた。治療評価はimporove. 過活動スコアは93から51へ(7歳時から1973年7月5日にかけて)。

コメント:やはり糖質コントロールは重要。