ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・治療がうまくいかない

 

ケース19

Ri.d.は1961年3月生まれで初診は1968年10月。色白で病弱な様子で大変神経質であった。1年生で留年し、2回目の1年生をしていた。彼はどんな活動にも加わらず、集中できる時間は短く、いつも問題を起こした。字を書く時は、逆から書いたり、鏡文字になったりした。知覚の異常があり、人々に常にみられていると感じていて、頸を切られた頭がでてくる悪夢をみていた。フットボール大の小さな男が話しかけてくる幻視があった。これらの幻覚についてよく母親に話した。しばしばこれらの幻視を踏みつけて消そうとした。幻視が本物であるという妄想もあった。学習は大変困難だった。彼は臨床試験でナイアシンアミド毎食1グラム、アスコルビン酸一日1グラムを開始することになった。1か月後に悪夢と幻視は消滅した。学校でも改善があったが、行動はまだ問題であった。ナイアシンアミドは毎食500㎎へ減量された。1969年1月7日、母親によると彼は良いといったが、翌月から悪化した。ナイアシンアミドは毎食1グラムへ戻されたが、幻視が再発した。1969年1月7日mellaril25mgを眠前に追加、1973年6月4日50㎎へ増量。1970年12月31日から1970(??)年9月24日にかけて改善した。6月に薬物を隠して飲まなかった時のみ落ち着きがなくなった。1979年9月24日に偽薬を開始。3日後、ひどく恐ろしいほど急速に再発した。直ちにビタミン療法が再開された。1970年の終わりまでに彼の行動は正常になったが、発語が明瞭でなく、協調運動はうまくできなかった。私はナイアシンアミドを1日5グラムへ増量した。1972年4月、母親はほぼ正常だと思ったが、1973年3月までは規律の問題があり、学校で悪いことをしていた。ジョン・ホッファー1973年8月4日彼を診察し、改善していないと判断した。自分の意思で幻視が出現し、被害妄想的で、読書や集中することが困難だった。学校ではなんとかやっているだけだった。栄養療法を行わないときは、いつもおろかにふるまっていた。1973年9月5日、感情障害を持つ子供用の特別学級に入った。過活動スコアは81点だった。1973年12月26日頃までには自信ができ、知覚異常もなくなった。しかしまだ社会不適応で、人とうまくやっていけなかった。

現在、ナイアシンアミド毎食1グラム、ピリドキシン1日500㎎、亜鉛・マグネシウム含有サプリを摂っているオーソモレキュラーの精神科医が、尿中にクリプトピロールを認める子供には亜鉛とピリドキシンがとても重要であることに気づいたのは、このころのことである。1971年10月の尿検査で、大量のクリプトピロールが検出されていた。

コメント:エイブラム・ホッファー達もずっと匍匐前進をつづけていたのだ。