ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・4歳男子、流ちょうに話せない

 

ケース28

V.F.は1964年7月生まれで初診は1968年7月。生まれつき扱いにくい子供だったが、3歳頃には癇癪持ちで、発達が遅かった。4歳までうまくしゃべれなかった。理解はできているようだった。彼は自分自身あるいは想像上の遊び友達と話すことはうまくできた。18か月で歩き始めたが、4歳まで走ることができなかった。父親(統合失調症から回復した)は、息子が多くの悪夢に苦しみ、自分だけの世界に住んでいると私に言った。私はナイアシンアミド一日1グラムとアスコルビン酸1日1グラムを開始してもらった。1か月後、体調は改善しはじめ、癇癪も減った。元気になり、いろんなことに興味が出てきて、よく眠れるようになってきた。1968年10月22日までにはかなり改善した。1968年1月父親が新しいビタミンをもってきて飲まそうとしたが、彼は嫌いで飲まなかった。すぐに、体調は悪化した。元のビタミンのレジメンに戻したところ、改善し始めた。1969年11月27日、一日4グラムのナイアシンとmellaril30㎎を開始した。両親は離婚したが、V.E.は母親によると今までで一番良い状態となった。1971年の夏にすべてのサプリメントを中止するころまでは、ほぼ正常に近い状態であった。ビタミンサプリは再開され、12月までに改善した。両親は1972年7月に離婚した。1973年7月17日ジョンホッファーは診察し、improvedと判断された。過活動スコアは89から27へ(3歳から7歳にかけて)(1971年)。症状が再燃していた1972年9月には75点あった。1973年7月17日は31点であった。

コメント:癇癪持ちなのもひとつの所見ですね。