ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・13歳男子。統合失調症。素行不良。

 

ケース100

M.W.は1957年2月生まれで初診は1970年12月。8歳の時、読書の習慣がつかず、夜尿をするために精神科クリニックを受診した。少しして夜尿症はなくなった。11歳の時、集中することができないために再診した。1970年の初めに少量のナイアシンアミドと内服し始め、多少の改善があった。初診前、ドラムを買うために2回ほど小切手を偽造していた。学校は、彼は通常教室で学ぶことは困難であるため、感情障害のある生徒のための特別学級へ入るように提案した。2-3の幻視があり、集中することが困難で、神経質だった。精神科クリニックで統合失調症と診断された。父親は慢性統合失調症であった。私はナイアシンアミドを毎食1グラムへ増量し、アスコルビン酸毎食1グラムおよびstelazine 6mgを開始した。1か月ほどして改善がみられた。成績は平均Bへと上昇した。1972年1月5日、両親によると、精神科医がナイアシンアミドを一日1グラムへ減量し、状態が悪化し始めた。1971年後半に両親がナイアシンアミドを増やすとふたたび好調になった。1972年4月25日、彼は正常で、学病成績は改善し続けた。私はピリドキシン250㎎朝夕を追加して、トランキライザーを減量した。1973年4月25日、彼は正常だった。1973年6月はよい月ではなかった。抑うつ、いらいら、勉強はできず、進級できないことを心配していた。私はstelazineを再開した。1973年6月27日、多くの時間で正常となった。1973年9月19日、両親から金を盗んで捕まった。1973年8月15日の評価は、0,0.5,0,1, improvedであった。1972年12月3日、彼は改善した。まだ幻視があり、思考はゆっくりで、学校でいくつかトラブルがあり、12学年を終了するために特別学級に行きたいと望んでいた。彼はビタミンの効果は好きだったが、トランキライザーは嫌いだった。過活動スコアは75から35へ(1970年12月24日から1972年1月5日にかけて)。1973年8月15日HODテストの結果はすべて高かった。

コメント:文章がわかりにくい。素行の悪さがあったよう。精神疾患は家族内に集積しやすいようだ。