ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・注射が良いことも。
ケース12 E.B.は1960年生まれで、初診は1971年4月。1966年3月言葉が出ないので小児科へ受診した。知能指数は低く、少し落ち着きがなかった。1年後、彼に問題があるのではなく、問題は母親にあると医師は告げた。母親が普通の子供のうるささに堪えれず、子供に愛情を注がないからであると。もちろん母親は二度とそのクリニックへは連れて行かなかった。4月になり、エリックは自分が学校で他の生徒とはやっていけないといった。テストが多く、家にいるのは退屈である。母親は学校の成績や、彼の嘘、癇癪などを心配した。彼は自分の精神状態についてこのようにうまく説明できた。
知覚:繰り返す悪夢、予知夢に苦しんでいる。彼の名を呼ぶ声が聞こえてくる。特にギターを弾いている時に、彼を殺すことについて話しているのが聞こえてくる。時々、脳内に別の自分がいるように感じられる。
思考:しばしば、自分はがいこつで、以前生きていた時のことを夢見ていると感じる。子供たちは彼のことを話し、笑い、からかい、偵察している。記憶力と集中力に乏しく、思考は途絶している。
私はナイアシンアミドを毎食1グラム、アスコルビン酸1グラム1日2回を開始してもらった。一月で改善がみられた。改善を早めようとナイアシン毎食後1グラムを開始したが、イノシトールナイアシンに変更しなければならなかった。 ゆっくりと改善し続け、1973年4月ナイアシン毎食後1グラムへ、週に1度、非経口ビタミンB投与を開始(注射)。1973年8月かなり改善。 ジョン・ホッファーは1973年7月9日に診察した。母親は、息子の改善は注射がよかったのだろうといった。ファミリードクターは彼の改善をみて大変驚いた。気分の変動が減り、他人とうまくやれるようになり、より幸せそうであった。まだ少し朝の頭痛があり、まだ誇大妄想的であったが、行動上の問題はなかった。1973年10月4日彼は正常であった。過活動スコアは106から51点へ(1971年4月28日から1973年10月4日にかけて)。評価はinproved
コメント:悪夢とは、自分が考える最悪の不幸が出現するのだろう。子供の夢にはやはりお化けがでてくる。
正常、の診断までに2年半かかっている。