老化を加速させる因子

ORTHOMOLECULAR MEDCINE FOR EVERYONより

栄養学的および精神的ストレス

病気と老化の進行については、議論の余地はない。病気にかかった友人や親戚が、目に見えて年取ったようにみえたことがあるだろう。これも1つのストレスである。ほかに精神的ストレスもある。長期間にわたる酷い精神的ストレスがある。これは1930年台の大恐慌の時代にみられた。多くの人々は、食事にこと欠かなかったが、急速に老化した。失業、経済的困窮、強制的移住などが原因となった。社会はこれらの事実を歴史的ストーリーとして知っている。「ある人物が、一夜にして白髪になった」という話を聞いたことがあるだろう。私(ホッファー)の父はある時期、畑、作物の損失、収入の低下、家族の教育の必要、私達のコミュニティー(父はその中でリーダーの一人であった)、について大変悩んでいた。彼の髪の毛は、一夜ではなく、2-3ヶ月のうちにグレーに変化した。
深刻な栄養失調や飢餓も加齢を進行させる。例えば、飢えた乳児は年取って見える。最も明らかなストレスによる加齢の影響は、第二次世界大戦時にみられる。3つのストレス(病気、精神的ストレス、栄養失調)が混合してみられたのは、ヨーロッパの強制収容所と日本の捕虜収容所である。ストレスの多きさを測るためには、死亡率が有用である。44ヶ月の期間の死亡率は25-50%であった。
私がこれらのことに気づいたのは、1960年にジョージ・ポーティウスに出会ったからである。彼は傷痍軍人センターのマネージャーをしていた。私は「ナイアシンの老化に対する効果」について研究を行っており、センターには研究に合致する人がたくさんいた。この頃までに私は、ナイアシンがコレステロールを低下させ(動脈硬化の予防効果)、アンチエイジング効果があることを知っていた。私はすでに1ダースの人にナイアシンを用い、大変効果があることを確かめていた。だがこれはパイロット研究であり、より大人数のコントロールスタディーを行いたかったのである。ポーティウス氏はこの研究をやる価値があると認め、研究に協力し、担当医たちに研究について周知し、彼の顧客達に、ナイアシンとナイアシンフラッシュについて話をした。
ビタミンのタブレットが皆に配布される2週間ほど前、ポーティウス氏は私に、「自分自身がナイアシンを内服したら、何か害があるか」と尋ねた。彼が言うには、自分でナイアシンを内服してみれば、ナイアシンフラッシュがどのようなものか、またそれがどのように減少していくか、自分のゲストによりよく説明できるだろうと言うのだ。それから、ポーティウス氏はサスカトゥーンの大学病院の私のオフィスに個人的な話をしに来た。彼はカナダ師団の一員として、1939年に香港の防衛強化のために派遣された。2-3週間後、急速に侵攻してきた日本軍に彼らは捕らえられた。その後44ヶ月ほど捕虜収容キャンプへ収容された。彼らは、監視員に残酷な非人間的扱いをうけ、また深刻な飢餓や栄養失調とその結果による、下痢、脚気心、ペラグラ、壊血病、その他のひどい疾病にかかった。1944年に彼らは解放されたが、3割近くのカナダ兵は死亡し、生き残った者もやせ細り死にかけていた。帰国の病院船の中で、彼らは食料を与えられ、傷の手当てを受け、ビタミンサプリメント(ライスブラン抽出物など)(1944年当時は合成ビタミンはなかった)を与えられた。医師達は兵士たちの健康を改善できたと考えたが、実はそうではなかった。
1944年から1960年にかけて、ポーティウス氏は彼の元の体重まで回復したが、健康にはならなかった。彼は慢性関節炎に苦しんだ。ひどい痛みと、関節の可動域制限(彼は腕を肩より上へ挙上できなかった。)を伴った。毎朝、妻の助けを借りずにはベッドから起き上がることができなかった。彼は熱と寒さに全く耐えられなかった。彼の精神状態は不良で、ひどい恐怖感と強迫観念にとらわれていた。例えば、彼は常にドアに面した部屋の隅にしか座ることができなかった。彼は強い不安と緊張、不眠に苦しんだ。在郷軍人局の医師は、彼を厄介者と考え、不眠にbarbiturate、覚醒のためにamphetamineを処方した。
1957年彼は在郷軍人精神病院へ送られ、不安神経障害と診断された。彼が自宅へ戻ったとき、彼の症状は悪化していた。なぜならば、彼の慢性的な不調は改善せず、この診断名を与えられただけだったためである。彼は親切でフレンドリーな心理療法家の外来治療を受けることになった。彼は以前に受けた精神科治療の負担を取り除かれ、以前の病気の状態まで回復した。
1960年の始め、ナイアシン内服開始後2週間の時点で、彼は正常となった。彼は驚き喜んだが6ヶ月後までは、回復が事実かどうか、また継続するかどうか確かめるまで、私に電話をしてこなかった。彼は自身の体調の改善とともに、(彼のゲストにアドバイスをするために)、本当にナイアシンフラッシュを経験したがっていた。この経験が基になり、私は同様の病歴の患者に、より多くのナイアシンを用いることを考えるようになった。それからの20年間、約2ダースの戦争捕虜、強制収容所の犠牲者、第2次世界大戦中の栄養失調の人々の診療をすることができた。患者の治療反応性は90%以上で、反応した者はポーティウス氏と同様に良好の経過であった。彼らは大量のナイアシン内服を継続する必要があった。つまり、彼らはビタミンB3依存症となっていた。
カナダ健康福祉局は香港在郷軍人研究のスポンサーとなった。彼らは皆、高い死亡率、関節炎、心疾患、そして早すぎる失明などに苦しみ、少なくとも4分の1は深刻な精神神経疾患に苦しめられていた。日本の収容所に捉えられたことで恒久的破壊的影響が香港の在郷軍人らに与えられたことが、公式に認められた。私(また、同様の研究をしている医師達)の推定では、このような状態に置かれたものは、1年で5年分加齢すると考えられる。
ポーティウス氏はその後、Saskatchewanの副知事として活躍し、7年後になくなった。その間、1962年の2週間を除いて、ずっと元気であった。彼はナイアシンを持たずに休暇に出かけたのだった。2週間後に家へ帰ったときには、病気が再発し、以前の不調の状態へ逆戻りしていた。
非常に強いストレス、栄養失調と飢餓はビタミンB3不足を引き起こす。 B3不足は老化を促進する。ストレスが大きいほど、老化がより促進する。飢饉が続き、栄養失調が蔓延するアフリカの地域の生き残りの中に、無数の早老の人々がいることを、誰もが知っている。

*ソ連の日本兵シベリア抑留は有名である。米英蘭加による日本兵の虐待は報道されないが(戦勝国なので)多く存在した。戦争とはそういうものなのでしょう。