小児のADHDを治す・・・Abram Hofferの書籍より
第3章ではADHDの治療ケースレポート110例+(10例)について詳細に報告しています。(後の10例は、オーソドックスな治療が無効であった例)
何十年にもわたり、砂粒を集めたかのようです。大変地味ですが、素晴らしいと思います。
(1)J.R.Aは1966年10月に生まれた。ジョンは母親と私のオフィスへ入ってきたときから、過活動的だった。6か月の時から過活動で、夜は短時間しか眠らず、手がかかる赤ん坊だった。両親の結婚生活はうまくいかなくなり、離婚した。ジョンは学校でも過活動であった。学業は優秀であったが、友人とはうまくやれなかった。彼はたびたび悪夢に苦しめられた。幽霊や怪物がやってくるので、部屋から逃げ出した。1日30㎎のリタリンが処方されて内服していた。リタリンには、多少の効果が認められていた。私は、毎食後1グラムのナイアシンアミドを処方した。ピリドキシン(B6)250㎎を一日2回。そして砂糖抜きの食事を勧めた
1月後、ジョンには改善が認められた。彼にはピルが飲み込みにくく、(ナイアシンアミドの量が少ない)粉末を内服していた。さらに一月後には、悪夢*が消失していた。(栄養療法を行っていることを知らない)教師は以下のような評価をした。”ジョンはすべての教科で、すばらしく進歩している。勉強に対する姿勢がよく、いつもベストをつくしている。私は、ジョンがクラスメートと協力して遊んだり勉強したりしていることを大変喜んでいます。この点に関して、本当に改善しています。この調子でいけば、第2学年もきっとうまくいくでしょう。”同時期に、家庭環境も改善した。母親が、同情心があり、ジョンを好きでいてくれる男性と一緒に暮らし始めたのだ。母親はリタリンを1日20㎎へ減量した。ジョン・ホッファー(エイブラム・ホッファーの息子)は1973年7月4日にジョンにインタビューを行った。この時、彼は落ち着きがなかった。悪夢は少しだけみていたが、家族や友人とはうまくやっていた。数字を逆さまに書いていた。彼の治療評価は”0101改善”であった。7月の終わりにサプリメントを再開することになった。9月末までにリタリンは1日10mgへ減量した。私はビタミン類を中止し、complamin(ニコチン酸キサンチノール)300㎎を3回/日でスタートした。これはエステル型のナイアシンとキサンチンである。ジョンの改善は続き、チェスができるようになった。ただし、まだ衝動的で過活動であった。11月半ばに大きな変化があった。リタリンを中止できたのである。(リタリンはジョンの感情を阻害していた。)両親はcomplaminの方を好んだ。悪夢は皆無となり、学校も順調だった。母親は、月に2-3回10mgのリタリンを内服させることがあった。ジョンのハイパーアクティブスコアは、97(1973年4月6日)から61点(1973年11月14日)へと低下した。彼の最終治療評価は”0111かなりの改善”であった。
*悪夢にはビタミンB群、特にB6が有効と言われている。