ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・ビタミンを中止すると途端に悪化する11歳女子

 

ケース46

D.K.は1958年生まれで初診は1968年4月。母親は17年間ほどひどい気分の変動に悩まされ、通常の治療には反応しなかった。しかし彼女は双極性障害ではなかった。統合失調症および幻視があり、抑うつ的な時は特に皆が彼女を見ていると感じていて、被害妄想的であった。家からでかけるのをいやがった。近所の人や夫が彼女の考えを知っていると思っていた。混乱し、思考は途絶し、記憶力と集中力は大変低下していた。尿中にはクリプトピロールが検出された。私は1968年夏に彼女の治療を始めた。電気けいれん療法を6シリーズも行った。ピリドキシンを加えた後、1972年末までに改善した。

母親は娘のD.K.について心配していた。とてもいらいらしていて、学校でうまくやれていなかった。食べ物の好き嫌いがひどく、頭痛に苦しんでいた。砂糖抜き食を開始したが、1970年2月になっても改善は認めなかった。そこでナイアシンアミド毎食500㎎、アスコルビン酸毎食500㎎を加えた。一月しても変化はなかった。彼女は大量のジャンクフードを食べ続けていた。ビタミンの量を倍にして、ピリドキシン500㎎を加えた。1972年8月28日多少の改善があった。1972年11月6日、母親によるといつもの枯草熱が出ず、算数とサイエンスの成績が向上した。1972年11月、単核症になりビタミンを飲めなくなった。速やかに症状が再燃し、学校の成績が低下した。毎食後1グラムのナイアシンを開始し、第10学年になった。 ビタミン療法を継続しているときは、いつも好調で学校でもうまくできていたが、中止するといつもすぐに数日して元のひどい状態に戻った。すなわち、機嫌が悪く、いらいらして、癇癪を破裂させ、ひどい言葉を発するのだ。1973年11月5日、かなり改善し、多くの時間は好調だった。ジョンホッファーはimprovedと診断したが、変動があった。過活動スコアは79から35へ、そして51へ(1972年6月21日から1973年6月19日そして1973年8月にかけて)。彼女の状態は栄養療法の有無により大きな影響が認められた。

コメント:枯草熱とは、いわゆる花粉症のことで良いと思う。

糖質制限で花粉症が改善した人は、私が直接診察したり、出会った人にたくさんおられます。