ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・(通常の治療が無効であった)ケース4

 

 

 

上記より

ケース4

J.D.は1980年9月生まれ。初診は1987年9月15日。パークスセンターにて乳児自閉症と診断されていた。難産で生まれ、産後5日間ほどインキュベーターの中で過ごした。15か月まで母乳栄養で育ったが、卒乳前からミルクを開始されていた。13か月で話始め、”ママ”と言ったが、その3か月後に話さなくなった。18か月までに両親は発育障害ではないかと考えるようになった。反応が悪かった。2歳の時に高熱を出した。2歳半の時に、医師と小児科医の身体診察で問題なかった。プレスクールの教師は彼が普通と違うと感じ、7歳の時に自閉症と診断され、その後治療を受けた。

初診時、彼は話せたが、容易に混乱するため、ゆっくり明瞭に話しかけなければならなかった。一度にひとつのことしか把握できなかった。眠前にmellaril25㎎を処方され落ち着いた。よい精神状態を得ることは不可能だった。夜中にハミングのような音が聞こえてくると言った。私は両親に以下を勧めた。砂糖抜き食、牛乳抜き食で毎食500㎎のナイアシンアミド、アスコルビン酸毎食500㎎、ピリドキシン250㎎、亜鉛15㎎をカルシウム、マグネシウムと一緒に(ビタミンB6の副作用予防のためにも)。1988年2月9日、彼は落ち着き、方向もよくわかり、会話も改善した。一晩中眠れるようになった。1988年5月9日、かなり改善した。感情の反応はより適切になり、コミュニケーションしやすくなった。1988年8月1日、1年生を終了した。算数は2学年のレベルだった。1か月後、学校でより落ち着かなくなった。眠前にイミプラミン25㎎を追加した。1989年3月21日、母親は彼の進歩を喜んだ。2か月ほど前に母親は治療を中止していた。1989年4月6日、彼は脱落してしまったので、再びプログラムを再開せねばならなかった。1年後、好調でまだ改善を続けていた。3年生で学校では正常だった。1995年1月3日、8年生になりAとBをとっていた。学校が好きで、級友とうまくやれていたが、孤独を感じていた。家庭ではもっと友達がいた。ビタミンプログラムを継続していて、両親は継続する進歩に満足していた。

コメント:2歳半の診察はなんだったのだろうか。 親の観察、意見をもっと尊重するべきなのだろう。