「極楽浄土」とは煩悩から離れた状態の比喩
「仏教超入門」より引用
本当に極楽というものがあるのか、ブッダは述べてはいない。死後のことについて、歴史上のブッダは何も述べていないのである。これを仏教用語で「無記」という。
あの世について述べていないばかりか、ブッダは当時のインドで霊魂の実体とされていた「アートマン」の存在をも否定したのだから、死後の霊的生をも認めていないと考えるのが妥当であろう。
そのような基本が前提となってこそ、次のようなブッダの言葉は誰にでも明確に理解されることになる。
この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。しかし明知に達したいけるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。
ブッダの悟りに関する言説と縁の思想を真だと信じるのが仏教なのだから、本当の仏教者ならば、極楽浄土や地獄が死後に存在すると考えるべきではないだろう。
死後の世界があってほしいという人と、ないで欲しいという人、両方おられますね。
あまり仏教の話を聞く機会が多くないのですが、僧侶の方々も上のように思っておられるのでしょうか?
仏教のベーシックなことをこれまで知らなかったです。
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