ライナス・ポーリングインタビュー
ライナス・ポーリングは、若くして父親をなくし兄弟も多かったため、アルバイトをしながら勉強していた。
以下ウィキペディアより
ポーリングは幼少の頃、熱心な読書家だった。ある時、父は地方紙宛に手紙を送り、ポーリングが熱中しそうな本を何冊か紹介して欲しいと依頼したほどであった。ポーリングが小学校に通っていた頃、父の友人ロイド・ジェフレスは寝室に小さな化学の実験室を持っており、そこで室内実験を学んだポーリングは、化学工学の道へ進む夢を抱いた。
その後、ポートランドのワシントン高校に進学したポーリングは化学の実験を続けた。機材は祖父が夜警員として働いていた仕事場近くの廃棄鉄工場から借用していた。
ポーリングは家計を助けるアルバイトに明け暮れて出席日数が足りないため、必修のアメリカ史の単位を取ることができず、高校の卒業証書を授与される資格が得られなかった。同高校が卒業証書を授与したのは45年後の1962年、ポーリングが2つのノーベル賞を受賞した後のことである。
1時間5分頃 若い学生に、応用を考える前に、基礎科学(数学、物理学、化学、生理化学)をよく勉強した方がよいとアドバイスをしていた。より若い時に数学を学んでいれば・・・とも。