ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・10歳男児。盗みとウソ。小切手の偽造。

 

ケース83

D.T.は1960年生まれで初診は1970年4月。彼は予定日より5週早く、黄疸を伴って生まれた。8か月で歩き始め、2歳半で話始めた。よく感染症に罹患し、疝痛があり、多動であった。リタリンの内服を開始され、奇跡的な効果を認めた。彼は正常となり、第1学年を終了したが、第2学年では困難に直面した。40㎎のリタリンを内服中に、新たな問題が生じたので、精神科クリニックに相談した。リタリンは中止され、メラリル10㎎を眠前に開始された。処方変更により状態を悪化した。甘いものに対して大変食欲旺盛となり、また食事内容は大変悪かった。初診の2週前よりナイアシンアミド1グラム朝夕とアスコルビン酸1グラム朝夕後を開始した。その後少し改善し、いらいらも減少した。5時間糖負荷試験を行い、深刻な機能性低血糖症があることが判明した。糖負荷前、30分後、1時間後、2時間後、3時間後、4時間後、5時間後の血糖値はそれぞれ104、239、282、198、68、82であった。

私はナイアシンアミドを毎食1グラム、アスコルビン酸1グラム朝夕とし、リタリン1日45㎎を継続した。4か月後、彼は改善していたが、反社会的行動は悪化していた。嘘をつき、誤った情報を警察に伝え、盗みを始めた。リタリンはゆっくりと1日20㎎へ減量した。ナイアシンアミドは毎食2グラムへ増量した。1970年9月4日、かなり改善していた。ナイアシンアミドをナイアシン毎食1グラムへ変更。1970年10月5日、彼は正常であった。1971年9月、サマーキャンプから帰宅後、彼は再び嘘と盗みを行うようになった。私はナイアシンを毎食2グラムへ増量。1971年12月3日、彼は再び良い状態になった。1972年12月3日、リタリンを15㎎まで減量。第7学年に平均Cの成績で進級した。1973年6月12日、学校で盗みを働き、2度つかまった。様子が変であった。両親は離婚し、治療プログラムを行えていなかった。1973年7月27日not improved(0000)と判断された。幻視があり、家や学校での非行があった。1973年12月27日偽造小切手を発行したかどで逮捕され、法廷へ出廷した。しかし、両親は彼の進歩を喜んでいた。その年の終わりまでに彼はほぼ正常となっていた。症状も、反社会的行動もなくなっていた。過活動スコアは1970年4月14日には91点だったが(この時、リタリンを内服せず。リタリン40㎎で78まで低下)、ビタミン療法を行っている時は59点であった。1973年7月27日67点。

コメント:最終的には、治療判定と異なって正常になったようである。

反社会的行動はどういうことだろうか?

犯罪をおこす病気といえば、ピック病が想起される