宮島の思い出

お聞きした話です。

 朝鮮戦争の頃、宮島には米軍の療養所があった。朝鮮戦争で傷ついた兵隊が傷をいやす施設である。現在の水族館のあたりらしい。上陸用舟艇が桟橋にやってきたり、出て行ったりしていた。兵隊が船の上から、ウィスキーの瓶を投げ捨てる。それを泳いで取りに行った。拾ってきた空き瓶の中へニッカをいれて飲んでみたりした。(ジョニーウオーカーの味?を確かめるために。)

その周囲は、いわゆる慰安所街だった。
よく兵隊が女性と一緒にボートに乗ったり、山の中へ入っていった。子供20人くらいでのぞきにいった。そうすると、兵隊がかんかんになって怒った。子供は兵隊がどういう行動をするのかよく知っていた!

 

夏になるといろんな遊びをした。

神社のさい銭箱の下へもぐっていくと、10円玉が落ちていた。キャンディーが食べたくなると、潜ってさび付いた10円玉を拾った。

ある時には、浮き輪に空気を取り入れるパイプを取り付け、体にはおもりをつけて、水中歩行をした。

昔は貸しボート屋があった。海でボートに乗るのだが、中には対岸の宮島口まで漕いで行って乗り捨てたり、包が浦に乗り捨てる客がいた。 アルバイトで、ボートを漕いで乗り捨てられたボートを取りに行った。最大で10艘ほどロープでつないで持って帰った。

弥山は現在よりも木がよく茂っていた。松茸も多く、取り放題だった。山を庭のようにしてよく遊んだ。

クリスマスになると、校庭に兵隊がジープに乗ってやってきた。サンタの恰好をして、チョコレートを投げるのだ。子供は喜んで拾った。

当時の子供は、行動範囲が広く、危機管理能力も高そうだ。