壊血病の話

上記引用

医学会の体質が一番よくわかる例として、どうして壊血病が発見されたのか、また、その治療法がどうして何世紀も無視され続けたのかを見てみましょう。
1535年、ジャック・カルティエ(訳注 1491~1537年:フランス出身の探検家)は、110人の乗組員たちとともにフランスからニューファンドランド島まで航海しました。6週間で100人の乗組員が壊血病になりました。幸い、ある先住民が、その地域に生える木の実の汁を飲めばいいと教えてくれました。乗組員たちは数日で回復しました。それ以来、目端の利く船長は、部下にオレンジやレモンの果汁を必ず飲ませるようになりました。

ジョン・ウッダール(訳注:1570~1643年:イギリスの軍医でバラケルスス学派の化学者)は1636年に出版した「船医必携」で、壊血病の予防にはオレンジやレモンの果汁を使えばいいと述べています。しかし、医学界はこの賢明なアドバイスをなかなか受け入れようとはしませんでした。1747年、ジェームス・リンド(訳注:1716ー1794年、イギリスにおける海軍の衛生学の創始者)はこのアドバイスをもう一度紹介しました。

彼はきちんとした臨床試験を行い、壊血病は正しい食事で予防できることを証明したのです。キャプテン・クック(訳注:1728~1779年。本名ジェームズ・クック、イギリス軍の浣腸で海洋探検家)が大尉時代に、壊血病による死者を一人も出さずに世界一周航海を達成できたのは、リンドの研究のおかげでした。

海軍本部と医学界はこれらの事実を無視し続けました。1756~1763年の7年戦争(訳注:プロイセンおよびそれを支持するイギリスと、オーストリアなどのヨーロッパ諸国との間で行われた戦争)では、18万5千人の船員の約半数が壊血病で死亡しました。1779年、海峡艦隊(訳注:イギリス海峡を防衛するために設置されていたイギリス海軍の艦隊)は、たった10週間の後悔で2400人の壊血病患者を出しています。

1795年になって医学界(と海軍)は、ようやくすべての船員にレモンやライムの果汁を支給するようになりました(そのせいでイギリスの船員は「ライミー」と呼ばれるようになりました)。つまり、この大発見が受け入れられるまでには2世紀以上かかったのです。