ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・喘息と食物アレルギーと発達

 

ケース36

R.G.は1963年8月生まれで初診は1972年11月。2歳まで喘息があったが、食事の原因が突き止められた。彼はとても食事に神経質だったが、喘息は改善した。学ぶスピードが遅かったが、特別な個人授業のおかげで学校についていけていた。第一学年は2度行わなければならなかった。小児精神科の教授に診察を受け、正常と判断された。乳母はそれでも彼の進歩の少なさや字の下手さに問題があると思い、関心を寄せていた。暗闇では幻視を見た。頭の無い男があちこちへ銃を向けていた。他の子供に対しての被害妄想があり、考えるのが大変ゆっくりで、集中力と記憶力に乏しく、他の子供と自分が異なっていると感じていた。多くの食品のにおいが嫌いで、乏しい食事をしていた。私はナイアシンアミドを毎食1グラム、ピリドキシン250㎎を朝夕後、マルチビタミンーマルチミネラルサプリを開始してもらった。彼はピルを飲み込むことができなかった。そこで、ナイアシン1グラムをジュースへ入れて毎食後に、そしてマルチビタミンの液体の物を加えた。1973年2月28日、以前よりリラックスして、1時間半も読書ができた。まだ薬の内服はこばみ、ナイアシンの粉末を小麦クリームへ混ぜて飲んでいた。1973年5月31日、イライラがあったが、学校ではうまくやっていた。ジョンホッファーは1973年8月7日に診察した。知覚異常がひとつあるのみだった。まれに自分の名前が呼ばれるのが聞こえるていた。まだ考えるのやゆっくりで、話すことに躊躇があり、言葉はときどき変だった。好き嫌いがあるため、彼の食事はまだ低蛋白だった。治療効果判定はimproved. 1973年11月6日、学校でうまくやれていた。牛乳を飲み始めた後に、夜尿がはじまっていた。牛乳をやめると止まった。過活動スコアは正常だった。37点から40点(1972年11月から1973年8月7日にかけて)。

コメント:食物の好き嫌いがひどく、また食物アレルギーがあった症例。

あまり、食物のアレルギー(遅延型フードアレルギー)は日本では検討されていない。

ホッファー先生も乳製品が体に合わなかったらしい。

ローテーションダイエット

グルテンフリーダイエット、カゼインフリーダイエットなどを3週間ほど試して確認する。

地道な作業