ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・13歳女子。爪や皮膚や髪の毛も改善

 

ケース103

S.W.は1955年12月生まれで初診は1969年10月。初診の一か月前、学校から出ていくように告げられた。彼女は家へ帰る事を恐れて二日間ほど町中をあてもなく歩き続けた。彼女の女友達が電話をして、両親が迎えに行った。彼女は敵対的で、両親が厳しすぎると思っていた。彼女が遅く家へ帰ると、外出禁止にされたであろう。第9学年では平均Cの成績だったが、退屈だったためよく欠席した。人々が自分を見ていると信じていて、夜は彼女をよぶ男の声が聞こえ、自分の考えていることが聞こえてきて、非現実感があった。ページの中で文字が動くために、読書が困難だった。被害妄想的で、人々が自分について話しており、見知らぬ人が自分のことを笑っていて、一度は母親が部屋を盗聴していると思い込んでいた。グループで話すときに彼女は混乱した。殺人について考えたことがあり、2年前には妹を窒息させようとした。抑うつがあり、自殺念慮があった。母親は娘が男になっていっていると感じていた。なぜならば、日記にそのような記事があり、男子に興味をもたなかったので。私は毎食1グラムのナイアシンアミド、アスコルビン酸を開始した。一か月後、知覚の異常はなくなった。学校はより楽しくなり、抑うつも減少した。1969年12月15日、彼女は正常であった。1970年3月19日、彼女は好調で、学校を楽しみ、集中もでき、記憶もできた。2分の1インチ背が伸び、髪の毛が早く伸びるようになり、爪の状態も改善し、爪に白い部分がなくなった。皮膚は乾燥して荒れていたが、正常になった。1973年8月15日、ジョン・ホッファーは1111、正常と判断した。1971年の途中までビタミン療法を継続し、その後は、自分の能力がフルに発揮できないと感じたときのみ内服した。12学年を終了しようとしていた。運動に懸命で、野球をし、冬にはバスケットのコーチをした。1974年2月2日、私はパームスプリングスの空港で彼女にであった。2週間の休暇を母親と二人の姉妹と過ごした帰りであった。彼女は好調で、人生を楽しんでいた。

コメント:”殺人に興味”と言われると、内科医はビビります。有名大学の女子学生が殺人を犯したケースなどが連想されて・・・。