ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・13歳男児 てんかんと奇異な行動

 

ケース57

R.M.は1957年生まれで初診は1970年3月。5歳の時から、周囲の状況に気づかず、立ちあがって1分以上じっと見たり呪文をとなえるようになった。その後しばしば排尿した。彼はひどく落ち着きがなく、管理できないほどであった。脳波の検査では左前頭葉に局所的なてんかん派を認めた。毎日1-2回発作があった。1967年に子供精神クリニックで検査を受けた。彼は夜間に怖い夢を見た。起きている時にも、特異な感覚があった。たとえば、他の惑星からやってきた誰かになったような。全般的な不安と恐怖のため、学校での行儀がひどく悪かった。投薬と精神療法を3年間受けて、精神的には楽にはなったが、学校での成績は良くならなかった。1970年よりdilantin(フェニトイン)100mgを毎食後に開始した。この抗てんかん薬により父親のてんかん発作がコントロールできていたため。

初診時、学校では白昼夢にふけり、夢遊病者のようであり、多くの幻視に苦しみ、レコードを聴いていると母親が彼を呼ぶ声が聞こえ、非現実感があり、被害妄想的で敵対心が強く、赤ん坊の弟には乱暴であった。私は毎食1グラムのナイアシンを開始してもらった。グルタミン酸1グラム毎食後、砂糖フリーダイエット、およびdilantinを継続。1970年7月6日、けいれん発作はとても少なくなり、行動上の問題はなくなっていた。ピリドキシン250㎎を追加。彼は改善し続けた。1973年8月15日まで栄養療法を継続し、その時点で非現実感はまれになり、たまにけいれん発作があった。4月には大発作があった。しかし、学校での状態は改善し続けた。1973年8月15日、ジョン・ホッファーは診察し、improvedと評価した。彼は知覚異常を否定したが、HODテストでは知覚異常のスコアが大変高かった。あまり活気がなかった。学校は退屈と感じていたが、第10学年へ進級した。友人はあまりいなかった。もはや家庭での行動障害はなかった。多くの時間を読書に費やした。他人と交流することがなかった。(HOD test :perceptual   25  28 33 30 15)

 

コメント:よくなっても、人とのコミュニュケーションを好まない人。最終的にはHODテストの知覚スコアが15点まで改善している。

糖質制限(特にケトン食)に抗痙攣作用があることは有名。

映画「誤診」・・ケトン食とてんかん

映画「誤診」・・・難治性小児てんかんの栄養療法(実話に基づいています)