鳥谷部先生

 夏井睦先生のブログより引用

【ミニエッセイ】
「褥瘡のラップ療法」の創始者、鳥谷部先生が昨年末に急逝されました。享年72歳。合掌

1998年頃、先生から「俺と同じような治療をしているんだって?」とメールが入り、以後、頻繁にメールのやりとりをするようになり、最初にお会いしたのは「仙台褥瘡・創傷セミナー」(2002/07/06)でした。当時私は、いろいろあって大学病院を追い出されて松本市の相澤病院で働いていましたが、直ちに病院側に掛け合って鳥谷部先生の講演会を企画し、それがきっかけとなり彼も相澤病院で働くことになりました。外傷治療は私、褥瘡治療は鳥谷部先生という分業体制が完成したわけです。
毎日のように治療について二人で討論する日々が続きましたが(週1くらいで飲みに行ったり、私の外来の見学にいらっしゃった先生方と一緒に宴会したり)、一番印象的だったのは彼が徹頭徹尾、化学者だったことです。消毒薬についても外用薬についても、まず分子式から入るのが鳥谷部流であり、化学はちょっと苦手だった私にとっては衝撃的でした。何も見ないで六員環や五員環を含む反応式をスラスラ書く医者を見たのはあとにも先にも彼一人だけでした(ちなみに私は、「こいつには化学では叶わないな」と悟り、生物学と物理学の方向に進み、彼とは全く異なったアプローチで湿潤治療の理論を作り上げて体系化することになります)。

ただ、このような「化学者/生物学者としての鳥谷部」は「褥瘡ラップ療法」の信奉者の医者の間でもほとんど知られていなかったと思うし、他の医師たちの前で化学者鳥谷部を披露することもなかったと思われます。ラップ療法の根底にある厳然たる化学と生物学は気付かれることはなく、「ラップを当てるからラップ療法」と誤解されたのは彼の最大の不幸だったと思います。また、「ラップ療法」というあまりにセンセーショナルでわかりやすい名前にしたため、「穴あきポリ袋」に切り替えてからも、「ラップを使わないラップ療法」という苦しい説明を強いられたのも不幸と言えば不幸だったかもしれません。私には、「ラップ」という言葉は福音であり呪縛となったと感じます。

その後、私は茨城県の病院に移り、彼は宮城県の病院に戻ることになりますが、私が東京に来てからは彼が学会などで東京に来るたびに宴会をしたものです。「夏井、神楽坂とかに行ってみたいけどお店知らない?」と駄々をこねる鳥谷部先生をなんとか騙して四谷しんみち通りの居酒屋で2人宴会したこともあったっけ(神楽坂は観光地なんでどこも高いです)。最後に会ったのは2年前で麻布十番のワイン屋さんでしたが、今考えると、あの時にちょっと見栄を張っても神楽坂のお店に連れていけばよかったな、なんて考えたりします。

私より一足先に向こうの世界に行かれましたが、いずれ私も後を追いかけてそちらに行きますので、そちらの世界の先輩としていいお店が見つけておいて下さい。そのお店でまた酒を酌み交わしながら医療と科学について討論しましょう。