湿潤療法の歴史(基礎研究の発展)

夏井睦先生 新しい創傷治療より引用

もっとも速い時期の報告は,1958年のOdlandによる「熱傷は水疱を破らずに,そのままにしておいた方が速く治癒する」というものだった。それまでは「熱傷の水疱は早く取り除き,乾燥させないと治らない」と信じられていたのだから,当時の常識を真っ向から覆す報告だった。

次いで1962年,Winterが豚の皮膚欠損創に対し,ポリエチレンフィルムで覆った場合と,乾燥させて痂皮を作らせた場合を比較し,前者が後者より遥かに速く治ることを報告。その後,人間でも同じ結果が報告された。ここで「傷は乾かさず,湿潤環境で治癒する」ことが確立された。
このあたりから,傷が治るとはどういう現象なのか,傷ついた組織はどのように修復されるのか,各種の細胞はどのように連携しあっているのか・・・などについての基礎的報告が相次ぐことになる。

1970年代初め,Roveeが,湿潤環境で創周囲の皮膚から上皮細胞が移動することで上皮が再生することを証明。
その後,各種の細胞の役割,各種のサイトカイン,Growth Factorの働きが明らかにされ,基礎的研究からも「湿潤環境を保つために何かで創を閉鎖する」治療法の正しさが証明された。


これらの知識を元に,創傷治癒に最善の環境を提供する「創傷被覆材」が開発されることになる。

創傷被覆材としてもっとも速く製品化されたのが,1971年に発売されたポリウレタンのフィルムドレッシング。その後,親水ポリマーを主成分とするハイドロコロイド・ドレッシングが1983年に発売され(人工肛門用の接着材料としてはそれ以前から使われていた),その後,アルギン酸塩被覆材など多数の創傷被覆材が開発されることになった。

コメント:理論的なバックボーンは存在していたが、夏井、鳥谷部先生が患者さんに適用するまで、現場では消毒、ガーゼが常識だった。