仏教がインドで主流にならなかった理由

  

 上記によると、結局のところ自然消滅したらしい。(以下は私の理解なので、まちがっているかもしれません。)
 そもそもの教えは、以下のようなものだった。以下引用
 

初期の仏教は神自体の存在を否定する一方で、人間の不滅性について何の希望も与えず、一生を不幸とみなし、生に対する愛着を最大の悪とし、人間の目的は一切の欲望の力を失わせて止滅させることであると考えた。

 

 言葉にするとこうなってしまう。言葉どおり受け取ると魅力がない。ゴータマ・シッタルダはスーパーヒーローだったので、大変魅力的な人物なのに。
 大乗仏教は、神話や迷信を発展させることで生き残ろうとした。
 これに対して小乗仏教はより禁欲的になり、バラモン教と変わらなくなってしまったらしい。

 

 以下引用

仏教の歴史は生というきわめて重大な問題について決定的な内容をもつ。それは宗教的拘束力を離れた純粋な道徳性をもつことがいかに困難であるかの証明であり、仏教が純粋な善性によるきわめて透明な生活を強調したにもかかわらず、インドに真の精神的解放はもたらせなかった。初期仏教は、権威に反逆している人達に反抗のよりどころを与えた。だが、小乗仏教は極端に走って仏教の体系の中心的弱点を暴露したし、大乗仏教は小乗仏教の不十分さを正そうとしてもう一方の極端へと走り、精神生活に介入するありとあらゆる迷信を認めることによって、かえってブッダの精神に背いてしまった。妥協なく道徳律に献身することは仏教の強さの秘密である反面、人間性の神秘的側面がおろそかになり、この結果として仏教は衰退を余儀なくさせられてしまったのである。

 

 斎藤孝先生の本には、「ブッダの教えは悩める人を救うためのものであって、悩んでいない人に役立つものではない。」と書かれていた。 私にはこの説明が一番わかりやすい。