夢の定義・・・植松努先生
植松先生のブログより引用
また、日本では、夢を、職業や進学先の中から選べ、と教えてしまっています。
これでは、就職した段階で夢がなくなってしまいます。
だから、大人は「いまさら夢って言われてもねえ。」になってしまいます。本当は、夢とは、大好きなことや、やってみたいことです。
どんなことでもいいです。
何個あったってかまいません。
どんどん叶えていけばいいのです。
夢が沢山あると、夢を叶える課程で、夢は絡み合って、どんどん叶っていきます。今日は、この道を歩いてみよう!
今日は、この電車で、ちょっと遠回りしてみよう!
今日は、このお店でご飯食べてみよう!
今日は、この映画を見に行こう!
なんでもいいです。
自分の意志で自分の行動を決める経験を積むことで、
主体的な行動力が増え、それが、主体的な学びの力になると思います。夢は大好きなことや、やってみたいことだよ。なんでもいいんだよ。
という条件下でさえ、
夢がありません、である場合は、
主体的な学びが出来無い状態で、人生を考えた場合、とても危険な状態である、
と認識した方がいいです。すなわち、夢というものは、主体的な思考や学びと、ものすごく密接につながっています。
そして、主体的、とは、自由です。
自らを由として生きることです。
自由について、親子で考えて見ることは、とても大事なことだと思います。
ていうか、そのまえに、まずは、大人が、自由や主体性について、
しっかり考えないといけません。
なぜなら、大人自身が、自由も主体性も失っている場合、
子どもにそれをもて、といっても、説得力ないもんね。
同じように、大人が夢をよくわかっていない状態で、
子どもに「夢を持ちなさい」というのも、ナンセンスですよ。