心を隠しているつもりでも・・・・仏教超入門より
言葉は力ある行為のひとつであるから、自分の言葉によって自分を苦しめることすらある。もちろん、他人を害する言葉も禁じられる。それは剣に等しいものだからだ。
思い出してみてほしい。乱暴な人間は乱暴な言葉づかいをし、乱暴な振る舞いをするものだ。優しい人は落ち着いた言葉を使う。
詐欺師は優しい言葉を上手に使うかもしれない。だが、その振る舞いはやはり卑怯な暴力にすぎない。そのアンバランスに気づかない人が、詐欺に引っかかるわけだ。
なぜアンバランスに気づかないか。自分が口にする言葉と行いが、いつも不安定でアンバランスなことが多いからではないだろうか。
街頭でのキャッチ商法などの組織的詐欺師たちが狙うのは、視線が定まらず目的もなさそうにふらふらと街を歩いている人だという。そういう人たちは引っかかりやすい。彼らが何のよりどころを信ずるところも無く漠然と生きていることが、その歩き方にでてしまっているからであろう。
みんな自分の心を隠しているように思っているけれども、本当は心はちっとも隠れてはいない。態度、行い、言葉、表情、動きにあらわになっているものなのだ。そこを詐欺師たちは見抜いて、欺瞞的な商売をしているわけだ。
詐欺師が巧みなのではなく、こっちが鈍くなっているから引っかかるわけで、自分がまっすぐに生きてさえいれば、相手が曲がっているころを簡単に感知できるものだ。
恐ろしいことに、人は他人のコンプレックスを特に見抜くものです。
だからこそ、「自分の弱点が武器になりうる」と思います。
コンプレックスのない人間などいないでしょうから。
[amazonjs asin=”4799323415″ locale=”JP” title=”完全版 仏教「超」入門 (ディスカヴァー携書)”]