本当の「出世」とは出世しないこと・・・仏教超入門より
「出世払い」という言い方があります。今は支払わずに、やがて出世して会社の役員などになったときに数倍にして支払うという意味です。
しかしながら、もし初めて入ったバーでしこたま飲んでから勘定のときに、「出世払いにしてくれ」などと言ったら、そのまま店を出ることは困難などころか、無銭飲食の容疑で警察署に突き出されることになるかもしれません。
ふつうに使われる「出世」の意味は会社の重役になったり、有名になってひと旗あげたり、大臣になったりすること、つまり高い地位や名誉を得ることです。日本経済がまだ元気にあふれていたころ、多くの親は子の出世を願ったものです。
けれども、本来の「出世」とは、ブッダがこの世に生まれたこと、もしくは、ブッダが悟りを開いたことをいいます。これも立派になることではありますが、その立派の次元は、俗世間での成功ではなく人間救済のために生きるということなのです。
今、ふつうに使われている「出世」という言葉は、その語源から遠く離れてあまりにもセコい意味になっているわけです。
ちなみに、「世」という感じは、流転する、移り変わっていく、という意味です。したがって、世間も世界も恒久的ではなく、絶えず変化して、とどまならないものなのです。
だれもができれば「出世したい」と願うのが人情だと思います。
本来の意味の「出世」の次元で生きるのは、すごいことだと思います。
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