ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・12歳女児。重度の発語障害。

 

ケース63

L.A.P.は1959年1月生まれで初診は1971年8月。言葉が聞き取れないほどの発語障害があったが、彼女は気づいていなかった。生下時に二分脊椎症があったが11か月で治癒した。8か月までに座るようになり、3歳で話始めた。5歳で短い文章を話すようになった。特殊学校で学び、勉強の進歩は遅かった。読書は不得手だった。母親は娘は明るく、記憶力が良いと思っていた。膀胱に特異な異常があり、バッグのついた留置カテーテルが必要であった。思春期までには解放されたいところだった。私は毎食1グラムのナイアシンアミド、1日2グラムのアスコルビン酸、ピリドキシン250㎎朝夕を開始してもらった。1か月後、彼女は以前よりもリラックスし、イライラがへっていた。私はナイアシンアミドを1日4グラム、ピリドキシン500㎎朝夕へと増量した。1971年12月16日、発語はより明瞭になり、以前ほど怒らなくなり、より聞きたがり、協力的になった。1972年3月16日、私はDMG(30ジメチルグリシン)0㎎を追加した。1972年4月18日、母親は娘の言葉の進歩を大変喜んでいた。以前ほど発語に苦労がなかった。私はナイアシン1グラム毎食後とリタリン20㎎を追加した。しかり、リタリンで状況は悪化した。2インチほど背が伸び、読書を楽しんだ。1972年7月25日、ナイアシンを毎食2グラムへ増量した。9月6日、さらに改善を認め、自分で会話を始めるようになった。私はナイアシンを毎食1.5グラムへ減量した。1972年11月28日、言葉はほぼ正常であったが、読書は嫌いだった。1973年2月、DMGは中止したが、改善は維持された。1973年8月28日、母親によると言葉が後退しているとのことだった。DMGを再開すると、改善した。母親は再度DMGを中止したが、こんどは悪化しなかった。1973年9月4日、行動は正常だったが、まだ進歩がゆっくりで特別学級に学んでいた。ジョン・ホッファーはimprovedと判断した。過活動スコアは79から43(最悪の時から、1973年7月28日にかけて)。

コメント:言葉がうまく話せない時はグリシンを使っていたようだ。

アイハーブでも売っているようですね。

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