ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・5歳男児 ナイアシンやアミドで黄疸が出るときには
ケース38
C.H.は1964年5月生まれで初診は1969年12月。母親が1969年2月に患者として受診していた。3年間にわたり過剰飲酒していた。頭痛、抑うつ的、イライラを紛らわすのが目的だった。幻視、幻聴、そして大変被害妄想が強かった。私は母親を統合失調症と診断し、毎食後1グラムのナイアシンアミドを開始してもらった。1969年年末までに改善した。1970年4月に一人の女の子を出産した。母親は一日4グラムのナイアシンと一日2グラムのアスコルビン酸を内服していた。しだいに抑うつ的になり1970年10月、外来で6回ほど電気けいれん療法を受けてもらった。1971年3月までに彼女は改善した。1972年12月扁桃摘出術のために入院した。何も飲み込めなくなり、10日ほどビタミンを中止した。幻聴が再来し、イライラと抑うつも再発した。1973年1月5日、入院し電気けいれん療法を5回受けた。1973年4月までに改善した。
C.H.は一人目の子供だった。赤ん坊の頃、彼は揺れていて、その後ぐるぐると走り回った。1969年5月、より注目されたがり、母親にまとわりつき、言うことを聞かなくなった。母親の言うことは理解できなかった。学校ではしばしばひどい癇癪をおこした。教師に金切り声をあげ、殺すとおどした。学校での行動が崩壊するとともに、家庭での状態も悪化した。小児精神科医が彼を診察し、病気ではないが、感情に問題のある子ども用の特別なクラスへ行くべきであると言った。私はナイアシンアミド1グラムを朝夕後、アスコルビン酸1グラムを朝夕後の内服を開始してもらった。 お化けの夢は1-2週間でなくなった。急速な改善が見られたが、1971年4月に突然悪化した。6月までにほぼよくなった。私はナイアシンアミドを毎食後1グラムへと増量した。1970年10月15日までにはむしろ良かった。ナイアシンアミドを1回1グラム4回へと増量。改善はあったが、まだ抑うつ的だった。Parnate 10mgを試したが、むしろ精神症状が悪化した。幻視が再燃し、中止したのちも10日間続いた。1971年3月31日ころまでにほとんど幻視を見なくなった。ナイアシンアミドを毎食1グラムへ減量。(嘔気のため)ナイアシンを一日9グラムへ増量。しかしこの量の内服はできず、2グラムを2回へ減量。1971年8月27日、彼は正常であった。両親がピリドキシンを継続しなかったところ、数日して状態が悪くなった。すぐにこの状態は改善した。何度かピリドキシンを中止したが、いつも同じ状態になった。1972年はずっと調子がよかったが、8月に肝炎で入院した。すべてのサプリと薬物が2週間ほど中止された。黄疸が消えていくにしたがって、彼の精神状態は崩壊していった。そこでビタミン療法が再開された。1973年8月6日、ナイアシンアミド1グラム毎食後を摂っていた。再度黄疸をきたしていた。ここで黄疸を心配する小児科医(精神状態については興味がない)と私のあいだで対立が生じた。1973年7月6日、イノシトールナイアシン毎食1グラム、ピリドキシン250㎎を1日2回、イミプラミン25㎎眠前を開始してもらった。ジョンホッファーは改善なしと診断した。1973年9月28日までにかなり改善した。母親によると正常であった。もう黄疸をおこすことはなかった。過活動スコアは彼の状態を反映していた。初診の前は107点。1972年5月4日は28点、1973年8月6日は119点、1973年9月28日は37点。
コメント:過活動スコアに、状態が反映されていた。
一般のドクターの意見とホッファーの意見が異なることが多いですね。