ADHD ホッファー先生のケースレポート・・・12歳男子 吃音
ケース34
S.G.は1959年12月生まれで初診は1973年5月。1972年11月に父親が私の診察を受けることになった。そして、メガビタミン療法でとても良くなった。父親が、息子にもメガビタミン療法が有効ではないかと連れてきたのである。父親は息子がつっかえながら話すことと、ほかの子供とかかわらないことを心配していた。息子は父親にべったりだった。S.G.は自分のパーソナルスペースがなく、他人の行動を邪魔せずにはいられなかった。父親は息子をみると以前の自分のようだと述べた。彼は精神科医よりトランキライザーを処方されていた。薬物により彼の状態は悪化した。精神科医は父親の要求でナイアシンアミド毎食後500㎎、ピリドキシン1日250㎎、砂糖抜きダイエットに同意した。数か月後、彼のつっかえる話し方は改善した。学校の成績も改善し、前年はDばかりだったが、Cもとるようになった。両親は精神科医が息子の病気について自分たちを非難していると感じ、私に主治医になるように頼んだ。父親は、ビタミン療法以前の状態を見せようと、初診の数週前からビタミン療法を休ませた。私は毎食1グラムのナイアシンアミド、250㎎のピリドキシンを朝夕食後に開始してもらった。1973年7月27日、ジョンホッファーは診察し、第7学年時に何も症状がないことを確認した。父親は息子が大変良くなっていると感じていた。母親は、むっつりしてイライラした、静かな女性で、医学も栄養療法も信じておらず、協力はなかった。すべて父親の肩にかかることになった。1973年11月13日、彼はピルが飲みにくいと訴え、液体のビタミンが与えられることになった。まだ良い状態であった。妹も過活動だったが、ビタミン療法を拒否して良くならなかった。1972年2月のHODスコアは総合42点、知覚5点、妄想0点、抑うつ12点だった。1973年5月は、総合3点、知覚0点、妄想0点、抑うつ0点であった。過活動スコアは109点から62点へ(1973年5月から1973年8月にかけて)。
コメント:お父さんの孤軍奮闘。