ホッファーのアイデアの由来
エリック・ホッファー自伝より引用
1934年冬のエル・セントロの季節労働者キャンプ滞在が、私の思考全体を独特なものにし、以後50年間に書くものすべての種子になろうなどと誰が予想しえたであろう。人間にとって自分の才能を発見し、それを磨いていくうえでどのうような環境が望ましいかは、これまで多くの議論がなされている。エルサレム、アテネ、ルネサンス期のフィレンツェ、アムステルダム、パリ、ロンドンといった都市は偉大な作家、芸術家、科学者、哲学者の苗床だったし、いくつかの大学は創造的研究の中心だった。ツアー時代のロシアは世界的に著名な小説家や科学者を輩出したが、レーニンのロシアは知的には不毛であり、18世紀の世紀転換期のドイツでは、帝政ドイツよりもはるかに多くのすぐれた著作や音楽がはぐくまれている。また東洋は何千年も停滞してきたにもかかわらず、西洋では中性の終わり以降、目覚ましい創造の湧出を見た。こうした事実が示す規則性を見ても、一般的要因を考慮しても、エル・セントロの季節労働者キャンプが、私の思索者あるいは著述家としての潜在的可能性を探るうえで理想的な環境だったとはとても言えまい。