くる病とビタミンD

ビタミン発見物語 笠原 浩 月間保団連 2019.4より

くる病とビタミンD
くる病=「英国病」
北欧やイギリスなどの高緯度地域では、昔から骨の病気が多発していた。骨の発育が悪い子どもたちは、足や背骨が曲がり、胸郭もゆがむなど、体が著しく変形する。背中に大きなこぶを背負ったような前屈みの体型になることから、かつては「背むし」と呼ばれた。骨端線閉鎖後の成人では、骨軟化症の病型となり、骨粗鬆症による易骨折性などが問題になる。
くる病の特徴については、17世紀のイギリス人医師によって記載されているが、社会的な問題になるのは産業革命期以降で、煤煙やスモッグで覆われたロンドンなどの大都会で多発したことから、当時は「英国病(English disease」と呼ばれ恐れられた。
こうした病気は日本には存在しないと長らく思われていたが、1906年に富山県氷見群に奇病が発生していることが報道されたのをきっかけに調査が進み、北陸ばかりでなく東北地横でも同様な病気が次々に見つかった。

ビタミンDの発見
20世紀初頭はビタミンの概念が登場した時期でもあったので、この病気についても多くの研究者が欠乏因子の探索に取り組んだ。
1919年にイギリスのエドワード・メランビーが子犬にくる病を発生させることに成功し、動物実験でこの病気が骨やカルシウム沈着に関与する因子の欠乏症でえあり、その予防・治癒因子がタラの肝油に含まれていることを発見した。当初はビタミンAの高価だと考えられたが、マッカラムらによって、別の因子であることが明らかにされ、抗夜盲症因子はビタミンA、抗くる病因子はDと区別されることになった。

ビタミンD2、D3の単離・同定
1924年、アメリカのハリー・スティーンボックやアルフレッド・ヘスたちはある種の食品に紫外線を照射すると、くる病治療効果が得られることを発見した。
ヘスと共同して研究を進めていたドイツのアドルフ・ウインドゥスらは、1927年にエルゴステロールを紫外線照射するとビタミンDの効力が現れることを発見し、その有効成分を結晶化してビタミンD1と名づけた。しかし、この物質は混合物であることが明らかになったので(これが現在もD1の名を用いない理由)、翌年さらに精製してビタミンD2(エルゴカルシフェロール)の単離・同定に成功し、これがタラの肝油に含まれる繰るよう治療因子と同一物質であることを証明した。
ウインダウスはこれらの業績によって1928年にノーベル化学賞を受賞している。

日光浴、紫外線の効果
1920年前後、メランビーやマッカラムらによるビタミンDの発見とほぼ同じ時期に、ドイツ人医師のフルジンスキーやロンドンのリスター研究所のチック博士らが、くる病と日照不足との関連に気づき、子どもに日光浴をさせることで予防あるいは症状の改善の効果が得られることを報告していた。
こうした観察には、上述したような研究によって科学的な裏づけが与えられた。つまり、キノコや酵母などに含まれているエルゴステロールや7-デヒドロコレステロールが体表への太陽光照射により動物体内でビタミンDとなるメカニズムが明らかとなったのである。
とりわけ効果があるのは紫外線だということで、冬の日照時間が短い地域では、子どもたちを裸にして保護眼鏡を掛けさせた上で、水銀ランプによる集団的な紫外線照射をうけさせるようなことも、かつては広く行われていた。

活性型ビタミンDの発見
ビタミンDの構造決定と化学合成法の完成によってくる病の発生は激減した。ところが、第二次大戦後に肝臓や腎臓の障害がある場合には、ビタミンD欠乏の症状が現れることが明らかとなり、そうした症例に対応するための研究が進められた。1968年にウィスコンシン大学のヘクター・F・デルカによるビタミンDの活性型の発見をはじめ、カルシウム代謝調節機構についての解明が飛躍的に進展しつつある。この分野でもわが国の生化学者の寄与も少なくは無い。

コメント 今日的にはくる病も背むしもほとんど話題になる病気ではない。しかし、ビタミンDの多様な働きが明らかされ「プレくる病」あるいは「ビタミンD欠乏症」の状態の人が多いと考えられはじめている。実際に、ビタミンD不足の人が多い。また、ビタミンDで花粉症などのアレルギー疾患が改善する例も多い。

広島人のビタミンDレベル