行為が人間を形づくる・・・仏教超入門より
ブッダはこう述べている。
行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭い人となるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。
・・・・世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。-進みいく車がくさびに結ばれているように。
ブッダがこれだけ執拗に述べる行為の重さの中には、言葉も含まれている。人の口から発せられる言葉がいかに大きな行為であるか、次のように述べている。
人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り割くのである。
毀るべき人を誉め、また誉むべき人を毀る者ーかれは口によって禍をかさね、その禍のゆえに福楽を受けることができない。
興味深いことに、「聖書」の中でイエズスも似たようなことを言っている。
口は心に満ちたものを語る。・・・・人は自分の言葉によって義とされ、また自分の言葉によって罪とされる。
良い人はその心の良いものを出し、悪い人は悪い倉から悪いものを出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。
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