空とは

仏教超入門より

「空」は無いとか、無価値、無意味を意味しているのではない。

たとえば、空席の空は今の場合の「空」ではないが、空席の場合でもそこに席はある。席としての価値は減りも増えもしない。その意味で「空」である。

こういう論理が面倒だと思うなら、「空」とは現象だと考えてしまってもいい。現象は幽霊とはまったく異なる。現象は誰の目にも見えるし、かかわることもできる。

電話で相手の声を聞く。しかし、本当の相手の声ではない。電気的な現象にすぎない。テレビも同じだ。写真も同じだ。いっさいが現象である。

自分の声ですら現象である。自分の声は耳で聞くばかりではない。自分の骨を通じて聞いている。それをあなたは自分の声だと思っている。ところが、他人はあなたの声を別なふうに聞いている。主に空気の震えを通じて聞いているからだ。

こういう知覚はみな「空」である。それは幻ではない。この現実のことだ。

世界とはこういう現実の集合だ。であるならば、ないがしろにすることなどできるはずもないではないか。

「空」のこういう考えを哲学だと思うかもしれない。はっきり言おう。仏教は哲学である。悩み苦しんでいる人の考え方を楽にする哲学である。

とにかく、仏教の第一歩は「縁起」と「空」の哲学から始まるのである。

 縁起と空はセットになった考えのようです。

{この世にあるどんなものも他との関係なしには決してありえない。だからいっさいが「空」だと仏教ではいう。}

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