江戸時代の食事・・・脚気の蔓延

月間保団連 2019 2月号 No.1287

ビタミン発見物語 江戸わずらいー脚気とビタミンB1   笠原 浩 より引用

・江戸時代中期以降のわが国の大都会では「脚気」が蔓延し、死亡することも多く、「江戸わずらい」と恐れられた。

・明治期になっても軍隊で罹患者が続出し国防上の大問題となった。海軍では疫学的研究を生かして食事の改善(麦飯の導入など)により予防効果を得たが、陸軍は「脚気伝染病説」を奉じて白米食に固執したため多数の病死者を出し続けた。

・1897年にオランダ人医師クリスチャン・エイクマンが米糠中に未知の栄養素が存在することを発見、1910年に鈴木梅太郎がそれを濃縮分離してオリザニンと命名した。後のビタミンB1=チアミンである。

 

写真は江戸時代の庶民の食事(文献を元に再現):山盛り飯をお替り3杯が当たり前だった。
一汁一菜が当たり前で、味噌汁や漬け物以外の副食はめったにお目にかかれなかったようだ。

・・・ちなみに、江戸時代の平均寿命は30-40歳と言われている。

 

疫学研究を行い、海軍に麦飯を導入し、脚気を激減させた高木兼寛(後に慈恵医大を創設):左

「脚気菌説」にしがみつき、陸軍の被害を拡大させた森 林太郎(森 鴎外):右

脚気(B1欠乏症)の歴史・・・論より証拠