呉共済病院で看護師をしていた

93歳女性。

1945年8月6日。呉で勤めていたところ、広島から大きな煙。

まもなく、次々に患者が送られてきた。小児はほとんどおらず、熱傷の患者も多くなかったという。

当時、注射はあったが、点滴は見たことがなかった。ビタミン注射をした。輸血などは全くせず。

水を与えるとすぐに亡くなる方が多かったので、あまり水を与えるな、という話だった。

毎日、傷の包帯交換をして、食事を与えるのが仕事だった。

たくさんの方々がお亡くなりになった。