真水の言葉に飢えている・・・若者がフィクションにはまるわけ

“鬼滅の刃”、”約束のネバーランド”など、フィクションのお話が大ヒットしていますね。

”固定観念を持たずに生きる”・・・簡単ではないです。

 

白取晴彦の言葉

打算や思惑がある。そんな言葉ばかりが溢れている

名言を残している人の本を作りたいのだが、誰かいい人はいないか。そんな相談を受けたのは、2年ほど前でした。それで頭に浮かんだのが、比喩や形容が、他の哲学者とは違っていたニーチェでした。これまでの日本語の翻訳を変えればもっと受け入れられるものになるのでは、という思いは、ずっと感じていたんですね。サルトルやハイデッガーではそうはいきません。解説が必要だからです。難解すぎて文章だけ抜き書きしても理解できない。哲学を知っている人には面白いかもしれませんが、一般の人にはわからないんです。
もうひとつ、今までのニーチェの翻訳には暗い、複雑、うんざり、という印象があった。でも、原文を読めば、そうじゃないところがたくさんある。ニーチェ自身、哲学は芸術だと言っていたりしますからね。そういうところをピックアップできれば、まったく違うニーチェを外に出すことができると思っていたんです。
では、どうしてこれまでそういうニーチェが出てこなかったのか。いろんな理由があるでしょうが、基本的に学者などの専門家というのは、固定概念に縛られますからね。また、学者と言う商売がら、わざと難しく訳すこともあるわけです。
いずれにしても、今までの翻訳ではニーチェの魅力は伝えきれていないと僕は思ったんです。ある程度は脚色しないと。それを、編集者が「超訳」という形にしてくれたというわけです。

面白いのは、『ニーチェの言葉』が出てから、二番煎じの本が続々と出たのに売れないことです。何が違うのかといえば、言葉の選び方が違うんです。
今の若い人は、結果とか目的とか最終目標とか、そういうことを全部、計算してから動き出しますね。でも、実はそれは一番まずい生き方なんです。そんなことはできっこないんだから。ところが、それをよしとしている大人も大勢いる。だから、「××しなければいけない」「将来の××のために」といったニュアンスの話ばかりが出てくる。つまり、言葉の裏側に打算や思惑があるんですよ。何でも手段化しなければ気が済まないような言葉ばかり巷にあふれてしまっている。

ただ、若い人というのは本能では、そういう言葉を求めていないんです。本当に人生に必要な言葉を求めている。僕はそれを、「真水の言葉」と呼んでいます。
アニメでもドラマでも、若い人はフィクションに溺れるでしょう。フィクションというのは、真水の言葉でなければストーリーが成立しない。若い人は、真水の言葉に飢えているのに、真水の言葉が現代社会に欠けている。だから、フィクションにはまるんです。彼らの感性が、フィクションに反応しているんです。計算とか、打算とか、裏に何も張り付いていない言葉。表面的で陳腐で使い古されていない言葉。そういう言葉こそが必要なんです。

『ニーチェの言葉』が売れたのは、僕が真水の言葉を使ったからです。では、どうして僕は真水の言葉を使うことができたのか。それは、僕が本気で遊んできたからです。固定観念を持たずに生きてきたからです。お金のために生きてこなかったし、いつでも自分にウソをつかず、真剣に生きてきたからなんです。