統合失調症ケースレポート21

ORTHOMOLECULAR TREATMENT OF CHRNONIC DISEASEより

R.W.1940年生まれ
R.W.は十代の始めに精神症状を発症した。アメリカのトップクラスの施設で治療を受けた。1年半ほどテキサス・ヒューストンのメニンジャークリニック、1年間ほどコネティカット・ハートフォードのクリニック、フロリダからニューヨークまでの沢山の病院で。1971年の始め頃、ニューヨークの実業家である父親は、私に電話をかけてきて相談した。その時点までに約50万ドルを費やしていたが、何の改善も認められなかったのである。

その頃、私は精神病に必要な栄養素についての臨床試験を行っていた。また、サスカトゥーン大学病院の精神科教授で、州の精神科臨床研究のディレクターでもあった。州の大学病院は経費が1日80ドルで、スタッフが充実していた。少なくとも一人の患者に1人以上のマンパワーが当てられていた。同時期に同じような患者の治療を行っていた精神病院では1日20ドルのコストであった。精神科病院の改革がすばらしく進みつつあったころ、精神科医も管理者も、スタッフを増員することにより、よい治療結果がでるに違いないと考えていた。私は1日80ドルの病院(フォファーの大学病院)と20ドルの病院の統合失調症の治療成績が変わらないことを知って、この考えに非常に懐疑的であった。もちろん4倍の効果は見出せなかった。

 

治療の主な要素は、どのような方法であれ、スタッフ、場所(病院、クリニック、家、路上など)、治療プロセス(精神療法、投薬、栄養など)である。大学病院と他の精神科病院の治療プログラムは同じであった。同じ質の食事であり、異なるのはスタッフの数のみであった。このことから、スタッフの充実度はさほど重要ではないことがわかった。私はサスカトゥーンに慢性期患者用のナーシングホームをつくることになった。カナダとアメリカ合衆国から患者がやってきた。ナーシングホームは1日20ドルのコストで運営した。個室でナースが滞在し、私が治療責任者であった。私は1度に2人以上は診察しなかった。大学病院にいるような人材は何も備えられていなかった。(サイコロジスト、ソーシャルワーカー、精神治療家、レジデント、医学生など)

 

私の当初の目的は、これらの患者達をナーシングホームで治療できるかどうか明らかにすることであった。全員が精神病院で治療がうまくいかなかった患者であった。1ヶ月以内に、特別問題ないことが判明した。患者が病院以上に逃げ出すわけでもなかった。実際のところ、高齢の患者達は、若い統合失調症の患者が生活の中にいることを喜んでいた。多くの患者達は、年配の患者や他の患者の手助けをかって出てくれた。私はこのナーシングホームで、数年のうちに60名ほどの患者を治療した。治療成績の解析では、同様の患者を大学病院で治療した群と差が無かった。このことで、私は治療方法こそ最重要事項であることを確信した。私の治療結果は、電気痙攣療法単独療法、トランキライザー単独療法よりも上回っていた。もちろん、十分な精神科的ケア、看護的ケアを行った上のことであるが、より多くの資金を治療プログラムそのものへ投下すべきなのである。

 

私は、上記をR.W.の父親に説明し、彼をナーシングホームへ入所してもらった。当時、彼はフロリダのDr, David Williamsにより、電気痙攣療法を何度か行い、その後ニューヨークのDr. David Hawkinsによってさらに何度か電気痙攣療法を受けた。彼は看護師に伴われてサスカトゥーンへやってきてナーシングホームへ入所した。非常にゆっくりとではあるが、彼は改善し始めた。サスカトゥーンでもビクトリアでも彼はメンバーとして受け入れられた。現在彼はビクトリアに住んでおり、自分のリビング、ベッドルーム、トイレがある。彼はそこでみんなと食事を摂る。彼は家族の一員のようである。私は2週間に1度彼を診察する。もし私が他の精神科医に彼の既往歴を知らせずに彼を紹介したなら、相当長時間彼と過さない限り、彼が現在も統合失調症であると診断しないのではないかと思う。彼はまだ時折パラノイドであるが、多くの時間は愉快で協力的でよい身なりをしている。彼は多くの時間を本と雑誌を読んですごす。彼は家族と遠足にも行く。彼はこれまでになく幸せである。それでもなお彼には強度の栄養療法プログラムの継続と、トランキライザー、アナフラニール(75mg/日)の内服が必要である。私が治療をはじめてからは、電気痙攣療法も入院も必要ではなくなった。

 

サスカトゥーンでオーソモレキュラー療法を開始した数ヶ月の間、彼は混乱していた。あるとき私は、彼がある女性のとなりに座っているのを見た。女性は精神状態が悪くて、自分がどこにいて自分が何をしているのかわかっていなかった。しかし、R.W.はじっと我慢強く彼女のそばにいて、彼女にチェッカーの仕方を教えようとしていた。彼は、彼女が全く別の世界にはいっていることに気づいていなかった。私は彼を”改善”とみなしている。なぜなら、彼はまだ統合失調症の症状に苦しんでおり、雇用もされていないからだ。

 

1975年にある精神科医が彼を診察して以下のレポートを書いた。

彼は無表情な顔をしている。時折しかめっ面をすることがある。彼の感情は基本的に平板であるが、時折不適切である。自身によると気分は大変よいか、あるいは大変悪い。彼は人生を楽しみ、人生は生きる価値があると感じている。彼は自殺をしたい考えはない。彼には宗教的なパラノイド、妄想的な思考が多少ある。しかし系統的な妄想はない。彼は幻覚(幻視や幻聴)についてはないと言っていた。思考の途絶、状況的思考、脱線思考があった。時折駄洒落や類音連想語を話した。自分の考えを要約しようとしたが、難しかった。思考の混乱はなかったが、記憶は(短期も長期も)大変低下していた。彼の知識レベルは高く、インテリジェンスは正常で高位レベルであった。診断:破瓜型統合失調症

 

 

 

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