損得勘定で生きると人生は苦しいものになる・・・仏教超入門より

いつの世でも人間は結局、真実の心を互いに与え合わなければ、本当に信頼できるつきあいはできないものである。

 

現実の人間よりも小説に描かれた人間のほうが、あるいはドラマや映画の中の人間のほうが、より人間性豊かに見えるのは、真実の気持ちを吐露し、真実の言葉を語っているからなのだ。

それはフィクションという構造の問題で、登場人物が真実を語ったり、心に素直に沿った行動をしなければ、小説なりドラマなりが成立しないからである。

 

けれども、現実の人間生活も本当は同じだ。

真実がどこにもないのならば、わたしたちはいずれ狂気に至るか、自殺するしかないのである。

損得で判断するということは、真実の人生を傷つけるものなのである。

 

会社に就職しようという若者が、会社を2つまで絞った。どちらからも誘いがきている。

あとは自分の判断次第だ。

最後にこの若者は、給料の高い会社のほうを選んだ。どちらの会社でも似たような仕事だから、給料の高いほうが得だと思ったのである。

それは世間的に賢い選択だとされるだろう。世間も損得でものを考えるからだ。

しかしわたしは、この世故に長けた若者には、つまらない苦労が多くなるのではないかと危惧する。損得で世渡りをするような人生は豊かではないと気づくまで、時間がかかるだろうと思うからだ。

人生とは損得の闘いではない。結局は人間とつきあっていくことに終着する。そのために必要なのは真実と真摯さであることに、疑いの余地はないだろう。

 

縁あって本を薦めていただき、少しですが勉強しています。

ドラマ、といえば私は毎日のように「ダウントン・アビー」シリーズを見ています。人々の言葉のやりとりが、すごいと思うのです。もちろん、上記にあるように、ドラマだからでしょう。

「はじめに言葉ありき」と聖書にあります。言葉は人を殺し、また人を救うもの。

生きるとは、人の中で生きていくことなのですね。