西郷と渋沢
相馬藩は、二宮尊徳の著した「興国安民法」を新政府に廃止させないよう西郷に頼んだ。明治4年頃。西郷は興国安民法をよく知りもしなかったのに受合った。そして渋沢の官舎へ頼みにやってきた。
頼まれた渋沢(その頃はまだ偉くなかった)は参議の西郷に、「あなたはその内容を知っているのか?」と尋ねたところ、「全然知らない」と答えた。
詳しく内容を説明し、相馬藩だけでなく国家として採用すべきものであり、政府は何を考えているのか?と切問した。西郷は特に何も言わずに帰っていったらしい。
当時の英雄にはっきりすぎる物言いである。さすがお札になる人だ。(まあ本人の武勇伝なのでしょうが)
西郷には渋沢が使える男だという情報があったのだろう。
渋沢は最後にこう記している。
とにかく、維新の豪傑のうちで、知らざるを知らずとして、毫も虚飾の無かった人物は西郷公で、実に敬仰に堪えぬ次第である。