ウクライナの悲劇
ウクライナ人だから気づいた日本の危機 グレンコ・アンドリー著より
「平和を願い、平和主義を掲げれば平和を維持できる」わけではない。
ウクライナの国民も権力者も、日本と同様にまったく安全保障について考えていませんでした。軍隊や防衛費は削られっぱなし、軍人は全然尊敬されない職業でした。それに加えて、集団安全保障や集団的自衛権に対する反対意見も根強かったのです。
また、ウクライナも日本と同様に外国のスパイが活動し放題の「スパイ天国」でした。さらに、「すんでいる国を嫌っているのに、なかなか祖国へ帰ってくれない、弱者ではないのに弱者を装いながら不当な特権を要求している異民族の存在」という異民族の存在」という奇妙な共通点まで、日本とウクライナは持っています。
さて、ここまで日本と似ているウクライナはどうなりましたか?
戦争になりました。
ウクライナは国家としてしっかりしなかったから、非常に弱くなりました。だから隣国のロシアは無防備だったウクライナを攻撃して、戦争になってしまいました。
いいですか、みなさん。ウクライナはどことも敵対しませんでした。ずっと、「ウクライナは平和国家で、みんなと仲良くしたい」と公式に言っていました。
それを実証するかのように、核兵器を全部なくして、非核三原則を発表しました。また、大量に持っていた通常兵器はほとんど処分しました。
それにもかかわらず、ウクライナは平和でいられなかったのです。