数珠が108の珠でできている理由

仏教の勉強会で教えてもらいました。

数珠は、元来、インドで数を数える為の道具だそうです。それ以上のものではなかったわけですが、108という数は、ご承知のとおり煩悩の数です。

人間の心の状態を108つに分類しているとのこと。それだけ精密に人間心理を分析・研究しようとしていたのです。

私には、これは科学的な態度のように感じられます。

ちなみに、キリスト教の7つの大罪は、「貪食」、「淫蕩」、「金銭欲(強欲)」、「悲嘆」、「怒り」、「怠惰(アケーディア)」、「虚栄心(自惚れ)」、「傲慢

仏教の方が101多いですね。

 

話が変わります。仏教は聖徳太子が、そもそもは国家経営の一環として導入したもの。それが、日本の神とシンクレディズムで融合して、現在のようになっている。

歴史的には国家仏教を導入した場合、他国の侵略を防げなかったことが多いらしい。 アショーカ国、呉越の銭氏など。 現代では、ダライラマのチベットでしょう。(武力の完全放棄も、ブッダのいうところの極端な考えでは)

キリスト教と異なり、異教徒の殺戮を容認するような教えでないからでしょうか。