統合失調症ケースレポート24

ORTHOMOLECULAR TREATEMENT OF CHRNONIC DISEASEより

J.J.1946年生まれ
J.J.は慢性状態の患者で数ヶ月集中的に治療を受けるも、家に帰ると継続できなかった。トランキライザーのみで治療した場合の典型的な経過である。

1971年に初診したとき、彼はナーシングホーム(前述)に入所したところであった。彼の母親は病歴の詳細が書かれたファイルを持参していた。彼は4年もの間うつ状態であると訴えた。発症してから1年たったころに、トロントの病院で治療を受けた。4ヶ月の間に8回の電気痙攣療法を受けた。少しは良くなった。しかし、彼にはトラブル続きの歴史があった。子どもの頃からとても神経質で、若い頃には学習障害で苦しんだ。退院後、いくつかの仕事に取り組んだが、どれも続かなかった。1970年になって、突然Thorazineの内服を中止した。2週間後、彼は緊張病状態となった。以前より多くの薬物が必要となった。診察時、人々が自分を見ている、幻視があり様々な人々が見えている、自分の声や景色が頭の中にあることを話した。自分の考えが声になって聞こえてきて、非現実感があった。パラノイド的で、おかしな話方をし、集中力がなかった。両親が彼に対して批判していると感じていた。1971年8月31日から11月25日までナーシングホームへ入所した。退所したが、その後治療プログラムを行わなかった。過剰の飲酒を続け、砂糖なしの食生活を行わなかった。1973年8月28日から9月5日に再入所した。その時、彼がビタミン療法をやめた理由について聞いた。ビタミンタブレットが飲み込みにくく、咀嚼しなければならなかったためであった。私は彼にビタミン療法を再開してもらった。少し改善したので家へ帰ったが、数週間のうちに、治療をやめてしまった。母親はなんとか治療プログラムを継続させようとしていたが、父親はこの治療法に懐疑的であり、妻に協力しなかった。最近になって、彼はいまだに不調で、少しもよくなっておらず、施設に入所していることを聞いた。

同時期にナーシングホームへ入所した、別の若者がいる。彼もビタミン療法のプログラムを行われた。彼も退所して家へ帰った。28年後の今日、彼の母親から電話で彼がビクトリアの友人をたずねて行ったことを聞いた。彼女は最新の情報を伝えてくれたのだ。私は彼のことを忘れてしまっていて、ファイルがどこにあるかすらわからなかった。彼は元気であり、その後入院することもなかった。サスカトゥーンでの治療開始後、彼は大変調子が良くなり、スーパーマーケットで1日5時間の仕事をしていた。彼はグループホームへ入所中で、臨床心理士の助けをかりながら、栄養療法を継続中であった。オーソモレキュラー療法継続の重要性がわかる。

 

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