仏舎利について 

仏教超入門より

ブッダの遺骨のことは「仏舎利」といい、霊園に行くと中央に白い仏舎利塔が建てられていることがあります。したがって、その中にブッダの遺骨のほんの小さな粒が入っているはずなのですが、実は必ずしもそうではないようです。
そのシャリと米粒が似ているから、ご飯をシャリとか銀シャリというわけです。
本文でも触れましたが、ブッダは自分の死後に遺骨をあがめるようなことはしないようにと言い残したのですが、実際は弟子達はそれとは反対の行動をとったのでした。
わたしたち日本人も故人の遺骨にこだわることが多いようです。遺骨を遺族の誰が受け取るのかということが問題になったり、祖先の遺骨を納めた墓のそばにいたいがために、その土地を離れられないという気持ちもあります。
しかし、そういう愛着こそが煩悩だと教えているのが仏教のはずです。だから、仏教を知れば知るほど、自称仏教徒である日本人の仏教徒らしくないところが、とても不思議に見えてくるのです。

尊敬の気持ちが強すぎて、師匠の指示に従わなかったようです。目に見える物が残され、そこでまたブッダの言葉がよみがえるわけだから、悪くはないと思います。

日本の仏教はやはり神道や古来の信仰が混じっているのでしょう。

いろんな国にいろんなキリスト教があるのと同様に。

 

(映画「リメンバーミー」は、メキシコの死者の日をテーマにした映画です。西欧のキリスト教とはだいぶ違う雰囲気です。)