2013年12月8日

戦中派の女性のお話です。

呉で空襲にあった頃のお話をお聞きしました。

「爆撃のズシーンという地響きが、毎晩同じ時間にしていた。」

「家の隣まで焼けてしまった。翌日学校へ行ったら、校門前に丸焦げの遺体があった。」

「呉工廠が焼けてしまっていたので、別のところで通信器のコイルを巻いていた。学校では農場を作らないといけなかった。」

「グラマンが機銃掃射してきて逃げた」

「家族と一緒だったので、なにも怖くなかった。戦争でいやだったのは、お腹がすくことだけだった。

自分が子どもだったからでしょう。」