2013年12月6日その2

またまた戦中派の女性(89歳)のお話です。

新京にご家族ですんでおられたそうです。敗戦となり、昭和21年7月まで帰国できなかったそうです。

敗戦で給料が出なくなり、身の回りの物を売ったり、お金をつくるのが大変だった。

ある日、主人がお月見の団子を買いにスーパーへ行ったところ、前腕に刺青をしたソ連兵(囚人、政治犯?)の集団がやってきて捕らえられた。

そしてトラックに乗せられ、シベリア行きの列車に乗せられた。運転手が日本人だったので、「脱走するなら30分後に到着する5分前に飛び降りろ」 とこっそり教えてくれた。言葉通り、そのタイミングで飛び降りた。

帰りは、病院で水の入ったビンをもらって「こいつは病人だ」ということにして汽車に乗せてもらった。警官が、以前会社にいた知り合いの中国人で見逃してくれた。

その後、帰国の目処がつき、2歳になる子どもをおぶって家族で港までやってきた。

すぐに船に乗れず、5日ほど丘の上で野宿をした。蒙古風(黄砂)にふかれ、雨にぬれながら筵の上で5日ほどたえた。

博多へ帰ったとき、大根葉の入ったおにぎりをもらった。

なんと日本はしずかで平穏なのかと思った」(帰国に16日かかった)

今頃になって、歴史の証言を聞ける恵まれた立場にあることに気づきました。